2013年7月3日 聖霊降臨後第7主日
ルカ9:18-26 ゼカリヤ12:7-10 ガラテヤ3:23-29

今週の聖句

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」
ルカによる福音書9:23

ねらい

イエスはご自分のことは考えず、「神からのメシア」としての使命に生きられました。問われて弟子たちもそう告白しましたが、イエスが自分の生き方としておられたのは、弟子たちが考える以上に徹底していました。既に神のみこころを知っていて、それに従い、十字架に至る厳しい道を歩む決心でした。この段落からしばらくは、イエスのこの生き方に向けて弟子たちを少しでも、自分中心でなく、神のため、イエスのため、現実には「隣り人」のために生きる者となるよう教えることだったのです。

説教作成のヒント

人間は自分中心、自分の利益を考えて生きてしまいます。それは単にお金を儲けるなどということだけでなく、偉くなろうとか、学者になろうとか、有名になろうとかという思いにも現れてきます。イエスのように生きるとは、自分中心でなく、神中心に生き、この世では他者のことを考える者になるということです。それはなかなかできにくいことですから、イエスに従おうとするわたしたち人間にとってはまさに「十字架を背負う」ことになるのですが、そこにこそ、イエスに従うという本当の幸いがあるのです。

豆知識

新共同訳が「神からのメシア」と訳している箇所は、原文のギリシア語本文から直訳すると、「神のキリスト」となります。神に選ばれて、神からの使命のために「油を注がれた者」、すなわち神の使命を委ねられた者という意味です。イエスの弟子となるということは、そういう方の弟子となるということで、不十分なわたしたちですが、少しずつそれに向かって歩んで行くのです。

説教

イエスが弟子たちを教育なさったのは、教室の中ではありません。歩きながらだったり、野に休んでいる時でした。あるときイエスは祈った後で「人々はわたしのことをなんと言っているか」とお尋ねになりました。どんな噂をしているかということですから、弟子たちはみんな口々にいろいろ言うことができました。するとイエスは「では、あなたがたはどうなのだ」とお尋ねになったのです。それまでいろいろ話していた弟子たちはきっと、ハッとして一瞬黙ってしまったでしょう。そこで弟子を代表してペトロが「神から送られた方、わたしたちを救ってくださる方です」と答えたのでした。とても大事な告白をしたのです。そういう方に従って行くためには、その方の生き方を学んで、少しでもそれにふさわしい者にならなくてはなりません。イエスによる弟子たちの訓練の始まりです。その時イエスが弟子たちにおっしゃったことは、ご自分のこれから先十字架にまで至る生き方をお示しになった上で、いわば「ひとこと」でした。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」というおことばです。弟子たちの信仰の訓練が本格的に始まるのです。「日々、自分の十字架を背負って、わたしに従う」ということがどういうことなのか、人々に教え、人々を助けるイエスの生き方を見たり、聞いたり、イエスの教えを受けたりしながら、弟子たちは少しずつ心の中で学び始めていくのです。イエスの弟子であることの教育の始まりです。続いて毎週読み、学んでいくルカ福音書の教えは、少しずつこのことを、かつてイエスが弟子たちに教えてくださったように、わたしたちに教えてくれるでしょう。わたしたちもあの頃の弟子たちのようになって、少しずつ学んでいきましょう。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□30番 「まぶねのなかに」

□79番(改訂版) 「まぶねの中に」

やってみよう

☆ぬくもりを感じよう

二人で背中合わせになって、5分間ほど、相手の背中からぬくもりを感じてみましょう。黙って目を閉じると、相手の気持ちを味わいやすくなります。

☆十字架をつくろう

<用意するもの>

割りばし・輪ゴム・紙粘土・ビーズ、おはじきなど(翌週、絵の具・ラッカーなど)

はしをふたつに割り、片方を適当な長さに切って輪ゴムでとめて十字架を作ります。これを芯にして紙粘土で肉づけしてビーズなどで飾ります。色塗り、ラッカー仕上げは翌週がよいでしょう。

話してみよう

その①

・私たちは、自分の力だけを頼りにして、どんな危険や問題にも正面から立ち向かっているでしょうか。それとも、自分の欠点を認めて、他の人に助けを求めているでしょうか。

・イエス様が「自分を捨てなさい」と言われたときの「自分」は、いったいどのような「自分」なのでしょうか。

・二人で背中合わせになって、相手の背中から、どんな気持ちを感じましたか。

その②

・今日の聖書箇所では、ペトロが自分にとってのイエス様はどういう存在かということを話しています。あなたにとって、神様やイエス様はどういう存在ですか?