・この当時たくさんの罪人とされる人たちがいて、社会から偏見の眼差しを向けられ、苦しんでいた。イエスさまはこれらの罪人と呼ばれたたくさんの人たちの思いを受け入れてくださったことを伝えたい。
・また、この女性たちを軽蔑していた人たちも、神さまの前に罪人でしかないことを伝えたい。
・この女性が、どれだけ社会の偏見に苦しんでおり、社会から背負わされた罪に苦しんでいたのか。
・この女性も、シモンも、そして、わたしたちも神さまにとっては同じ罪人でしかないことを伝える。
・この女性にあった信仰とは一体なんだろうか。
・1デナリオンはローマの銀貨で一日の賃金に相当した。50デナリオンは約二ヶ月分の月収に相当し、500デナリオンはその十倍。
・通常、ここに登場する女性を娼婦と解釈するのが一般的のようである。こどもたちに伝える必要はないが、説教をする側はこの点を意識しておく必要もあるかもしれない。
五十歩百歩という中国のお話があります。敵から五十歩逃げた人が、百歩逃げた人を笑ったが、似たようなものだというお話です。今日の話から、ふと思い出しました。
イエスさまは食事に招かれ、シモンと共に食事をしました。そこに、女性がやってきました。この女性はイエスさまの足に大切な香油を塗ってあげました。ところが、この女性は、たくさんの人たちから快く思われていなかったようです。この女性が食事の席にいるのですから、シモンも面白くありません。イエスさまはシモンの様子をご覧になられ、おっしゃいました。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン、もう一人は五十デナリオンである」。イエスさまは、シモンも、女性も五十歩百歩、似たようなものですよと教えてくださったのです。借りたお金が違うだけで、同じお金貸しから、お金を借りているんですよと教えてくださったのです。
イエスさまのお話はここでは終わりません。その二人の借金は帳消しされるというのです。ここでお金を借りるということは、わたしたちの背中に大きな荷物を背負うことと同じではないかと思います。ある人が荷物を背負っていました。またある別の人はその十倍の荷物を背負っていました。その重荷を降ろした時、どちらの人が大きく喜ぶのでしょうか。重い荷物を背負っていた人の方が大喜びするのです。
神さまから借りている借金、わたしたちの背中の重い荷物、これがわたしたちの罪ということではないでしょうか。罪が赦された人には、借金が赦され、重い荷物を降ろしたような安心がやってくるのです。女性はイエスさまこそ、大きな荷物が降してくださるとすべてを任せました。イエスさまはこの女性の信仰をご覧になられ、すべての罪を赦されました。罪が赦されたこの女性には安心がやってきたのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□53番 「しゅにしたがいゆくは」
□119番(改訂版) 「主に従うことは」
・2人ずつでてきてもらい、違うところをあげてもらう。(できるだけ、タイプの違う子どおし)
・じゃぁ、逆に似ているところはどんなところかな?
・写真などで、違う国のこどもや老人、病気の人などを紹介して自分たちと違うところを探してみても良いですね。
・みんな一人一人ちがうけど、みんな神さまの愛するこどもなんだよ。うれしいね。
<用意するもの>
画用紙、絵の具
①画用紙を1度半分に折って開き、ハートを描く。
②ハートの外側に、うれしい気持ちを言葉で書く。(ウキウキ、ワクワク、ありがとうなど)
②片側のハートの半分に、好きな色の絵の具を何色か直接、押し出すようにつける。
③半分に折って開くとできあがり!神さまの大きな愛が、世界中のみんなに伝わるように、お祈りしましょう。
・今日の聖書に出てくるシモンさんと罪深い女の人のちがうところはどんなところかを話してみよう。(シモン・・・正しい人、まじめな人、毎週礼拝に行ってた人など女の人・・・悪いことばかりしてきた人)
・では、二人の同じところは何だと思いますか?(二人とも神さまから愛されている)
・イエス様に罪を赦された女の人は、どんな気持ちだったでしょう?