・この箇所で大切なポイントの一つは、イエスさまが母親を見て憐れに思われたこと。
・母親に神さまの奇跡が現れたのはなぜだろうか。ここを考えていくと説教が深められるように思える。
・イエスさまは、百人隊長の信仰を褒めてくださり、そこに奇跡が現れた。この母親はどうだろうか。人生の伴侶を失い、今や一人息子も失ってしまった。この悲しみのどん底にある母親にも、イエスさまはやってこられ、息子を生き返らせた。
・わたしたちの悲しみも、キリストの救いのきっかけでありうるということではなかろうか。
・この箇所とよく比較して論じられるのは、列王記上17章のエリヤとサレプタのやもめの箇所。神さまに懇願したエリヤに対して、イエスさまは女性に「起きなさい」と宣言された。イエスさまの神さまとしてのお力を感じるところである。
わたしたちは、とても悲しい時、誰とも話したくないことがあります。お友だちとケンカしたり、家族に怒られたりしてシクシク泣いていると、回りの人たちに心を固く閉ざしてしまうこともあります。そのようなときに、わたしたちは、家族や回りのお友だちから声を掛けられても、知らんぷりしてしまうことがよくあります。
昔、ナインという町に一人の女性がいました。一人息子だけがこの女性の家族でした。ある日、この息子が亡くなりました。もう、息子には体温がなく、冷たくなっています。声をかけても返事もしません。昨日までは、この息子にもぬくもりがあり、呼びかけたら返事をしたことでしょう。この息子の死を境に、この女性に大きな悲しみが襲いました。女性はただ泣くことしかできません。今日は、その一人息子の葬式です。お墓に収めるために、町の外に運んでいる時、イエスさまがやってこられたのです。この女性にどう話しかけ、慰めたらいいのかわからずに困っていた人たちもきっとたくさんいたことでしょう。しかし、イエスさまは、この悲しむ女性の傍らに近寄ってきて、「もう泣かなくともよい」と慰めてくださいました。それだけではありません。イエスさまは、冷たくなった一人息子に「起きなさい」と語られると、なんと息子が生き返ったのです。
イエスさまの救いと奇跡がやってくるのは、神さまを信じる心が強い人だけではありません。心が悲しみに満たされ、心を閉ざし、神さまを頼る以外に何もできない人にだって、イエスさまはやってきて寄り添って、慰めてくださいます。イエスさまの慰めを知っているこの女性、そして、わたしたちこそ、今度は泣いて困っているお友だちに、優しく寄り添うことができるのではないでしょうか。また、その時、何も言葉がなくたって、イエスさまの安らぎを分かち合えるのではないかと思います。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□119番 「やさしいめが」
□114番(改訂版) 「やさしい目が」
<用意するもの>
直径20センチくらいの丸い画用紙(1人2枚)、わりばし、セロテープ、のり、マジック
①1枚に泣いている顔を描く。もう1枚には、笑った顔を描く。
②片側に笑った顔、片側に泣いた顔がくるように、1枚の裏側にわりばしをセロテープで貼り付け、もう1枚の裏側と合わせて、のりで貼りあわせる。
※画用紙のかわりに、発泡スチロールを使うと立体的になるよ。
イエス様は、悲しいときも「泣かなくていいよ。大丈夫だよ。」って言ってくださいます。イエス様によって、私たちはニコニコ顔に変えられるのです。
◇今日は、父の日です。お手紙やカードを書いて感謝の気持ちを伝えましょう。
・たった1人の息子をなくした母親(やもめ)は、どんな気持ちだったでしょう?
・イエス様に、「もう泣かなくてよい」と言われた母親の気持ちを考えてみましょう。
・イエス様と出会う前の母親とイエス様と出会った後の母親の人生は、どんな風に変わったか話してみよう。