・とにかく、百人隊長の信仰に焦点を当てること。
・イエスさまはこの百人隊長を指して、「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」とおっしゃった。この信仰はどのような信仰だろうか。
・百人隊長は、「わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません」と告白した。彼は、神さまの御子の御前に、大手を振って出ていけるような人ではないと知っていた。
・この百人隊長は、一体誰のためにイエスさまの癒しと救いを求めたのか。それは、自分自身のためではなく、愛する部下のため。この指揮官にとって、部下はただの駒の一つではなく、大切なかけがえのない一人の人間だった。
・百人隊長は百人程度の部隊を束ねている指揮官のこと。出エジプト記18章や、マカバイ記一3章には、百人隊長に加えて、十人隊長、五十人隊長、千人隊長などの記述も見られる。当時のヨーロッパや中東の各国で、このような軍の組織が見られたことであろう。★説教
皆さんは、スーパーやおもちゃ屋さんで、おねだりをしたことがありますか。今日の軍隊の隊長さんも、イエスさまにおねだりをしているようです。しかし、わたしたちのおねだりと、今日の隊長さんのおねだりは少し違うようです。
わたしたちが、何かをおねだりをするときのおねだりは、「あれが欲しい、これが欲しい。あれがあればきっと幸せになれる」という、自分のためのおねだりです。ところが、今日の隊長さんのおねだりは、自分のためのおねだりではありませんでした。「わたしの家来が病気で死にそうです。どうか助けてください」というおねだりでした。このおねだりは隊長自身のためのおねだりではなく、部下と部下の家族のためのおねだりでした。
わたしたちが神さまに対してするおねだりのことを、教会では「お祈り」と呼んでいます。わたしたちが神さまに何かお願いをするときには、当然わたしたち自身のこともお願いしますが、それだけではありません。自分の身の回りで困っている人のためにもお祈りします。わたしたちは、神さまを、そして、イエスさまを、わたしたちの心にお迎えするようなものではないのにお祈りをします。このわたしたちの心からのおねだりであるお祈りに対して、イエスさまがわたしたちに心を留め、たった一言でも口を開いてくださったならば、すべてのことを、神さまは良くしてくださるのです。
隊長さんはイエスさまにいいました。「ひと言おっしゃってください」。この隊長さんの思いは、イエスさまに届きました。そして、イエスさまはひと言を口にすると、隊長さんの部下の病気は治りました。わたしたちの回りの人を大切にする思いと、イエスさまへの心からの願いに、イエスさまが心を留めてくださる時、人間ができないことでも、イエスさまは成し遂げてくださるのです。