・わたしたちの愛の相手は、家族や自分と同じ価値観を持つ親しい友人、知人だけと思ってしまう。しかし、イエスさまは、すべての人が愛の相手であると教えてくださった。そのことに気づいて欲しい。
・わたしたちが別け隔てなく「与える」ためには、他者を別け隔てなく受け入れなければならない。大前提として愛がなければならない。ここからすべてが始まっていくことを伝えたい。
・「与える」ということを考えるときに、ただ物質的なやり取りだけではなく、そこには気持ちの交わりがあることに気づいてもらう。
・キリストは十字架で誰に何を与えてくださったのか。ここが説教の中心ではなかろうか。
・キリストの愛に照らされ、キリストの愛は、わたしたちの愛の相手をさらに見出していくことを伝えたい。
・ルカの平地の説教の箇所より。これはマタイの山上の説教と対比される箇所。
・原文で「(あなたがたは)与えなさい」とイエスさまが命じられた時、「誰に」、「何を」が省略されている。これらが省略されることで、この命令は普遍性を得ている。
みなさんは、お友だちや家族とプレゼント交換をしたことがありますか。わたしたちはプレゼントをしあうことで、とても温かな気持ちになります。それはなぜでしょうか。わたしたちがプレゼントをするのは、相手を思いやる気持ちがあるからできるのではないでしょうか。きっと、少し苦手だなぁと思う相手には、プレゼントをするのをためらう人もいるのではないでしょうか。わたしたちは普段何気なくするプレゼントで、そういう相手を思いやる気持ちに気づくこともできるのです。実は、わたしたちが何かをプレゼントをするときには、気持ちも一緒にプレゼントしているのです。
さて、今日、イエスさまはわたしたちに「与えなさい」とおっしゃいます。イエスさまは誰に与えなさいとか、言っていません。わたしたちが、大事なもの、大切な気持ちを届ける相手は、限られた仲良しのお友だちだけではないのです。ひょっとしたら、少し苦手だなぁと思うお友だちにも、顔も知らないお友だちにも、わたしたちの大切な愛を届けなさいとイエスさまはおっしゃっているのではないでしょうか。
今日わたしたちに「与えなさい」とおっしゃるイエスさまは、わたしたちにご自身の大切ないのちをもお与えくださるお方です。イエスさまの十字架への歩みは、イエスさまがその大切ないのちをプレゼントとしてわたしたちに与えてくださる歩みでした。その大切なプレゼントを差し出すイエスさまには、わたしたちへの愛があったのです。今日も、わたしたちは、イエスさまの愛と大切ないのちをプレゼントとして頂いているのです。
このような神さまの愛をたくさん頂いているわたしたちです。このようなわたしたちですから、大好きなお友だちはもとより、ちょっと苦手だなぁと思うお友だちや、話したこともないお友だちにも優しい気持ちで接することができるのかもしれません。このようなわたしたちに神さまは思いもよらないご褒美を用意していてくださると、イエスさまは約束してくださいました。「あなたがたにも与えられる」と。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□129番 「どんどこどんどこ」
□106番(改訂版) 「どんどこどんどこ」
<用意するもの>
模造紙(5~6人の場合:人数によっては半分の大きさに切ったり調節してください。)新聞、古雑誌、チラシなど、のり、はさみ、マジック
・テーマ「神さまから与えられているもの」(みんなで、1枚の模造紙を用います。)テーマに合うものを雑誌などから切り取ってどんどん貼っていきます。貼り方も書き込みも自由です。どんな作品ができるかな?
□6月の第2曜日は、「花の日」です。お花を持って、近くの老人ホームなどの施設を訪問したりいつもお世話になっている教会の方にお花をプレゼントしても良いですね。
・今日のみことば「与えなさい。そうすればあなたがたも与えられる。」とはどういう意味か考えてみましょう。
・良いことをした分だけ、自分にも良いことが返ってくるのかな?
・たとえば、お友達からおやつを分けてもらったらうれしいよね?じゃぁ、今度は自分のおやつをお友達に分けてあげたら、お友達は嬉しい?お友達が嬉しそうにしていたら、みんなも嬉しい?
・神さまから与えられているものってどんなものがあるか考えてみよう。
・すでに、ありのままの私たちを神さまは愛されているのです。