・昇天を科学的に知ろうとするのではなく、ありのままの出来事として受け止めたい。
・そこには神さまの不思議さと現代のわたしたちへの深い配慮があります。
・昇天によってイエス様の姿は見えなくなります。昇天は理解しがたい出来事です。しかしそれはイエスさまが時間と場所を超えた存在となられたことを意味します。
・それは時代と場所の異なる現代のわたしたちと共におられることを教えています。私たちは「見ないのに信じる、幸いな」(ヨハネ20:29)時代に生きるのです
・祝福はイエス様が弟子たちを神の守りと恵みに委ねる祭司的な行為です。弟子たちは聖霊が来る前にこのイエス様の祝福の中にあります。
・天に上げられたのは、イエスさまの外には預言者エリヤ(列王記下2章)がいます。
イエス様は弟子たちの前に立ち、いつものようにお話しをされました。お話しの後、これもいつものように祝福のお祈りをされます。ところが、今日はいつもとはちがっていました。両手を上げて祈っておられるイエスさまが、風船が飛んでいくようにだんだんと天に向かって昇って行かれるのです。弟子たちは、「わぁ-!どうされたんだ!」と騒ぎ始めました。弟子たちはイエス様が十字架にかかって死んだと思っていました。しかし復活してみんなの前にその姿を現してくださいました。それで前と同じように一緒にいてくださると、みんな安心しきっていたのです。ところが、今度は祝福の姿のまま天に昇って行かれる。これに驚かない人はいませんでした。そしてやがてその姿は見えなくなったのです。イエス様はまた弟子たちの前からいなくなったのです。直接見ていた弟子たちも信じられませんが、それを今聞いている私たちにも信じられないことです。
でも、今度は、弟子たちはさびしくも恐くはありませんでした。イエス様が聖霊を与えられたからです。聖霊は神さまの心を教え、勇気と喜びを与えるのです。たとえイエス様が見えなくなっても、弟子たちの心にはしっかりとイエス様がおられると聖霊が教えてくれるのです。見えることがいつも大切なのではありません。見えないからいないということもできません。遠くの物が見えないように、私たちに見えることはほんの一部だけです。小さな音は聞こえないように聞こえるのはほんの一部だけです。見えない、いないとおもっても、神様はおられるのです。
見ないで信じることは大切なことです。今の私たちもイエス様を見ることが出来ないからです。イエス様が弟子たちと一緒におられたのは遠い昔のことです。2000年も前のことです。それも私たちが住んでいるところから遠く離れた外国です。私たちはどうやってもイエス様に直接会ってこの目で確かめることは出来ないのです。でも聖霊はそんな私たちに安心しなさいと教えるのです。イエス様は私たちの心の中におられるからです。私たちがイエス様を忘れても、イエス様は私たちを忘れられません。どんな時も一緒にいて下さいます。たとえひとりぼっちだと思っていても、イエス様は確かに私たちの心にいてくださるのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□132番 「みんなでいっしょに」
□92番(改訂版) 「たたえよ、この日」
<用意するもの> コピー用紙(白) 画用紙 (顔用)サインペン
作り方
①コピー用紙をたて長に置き、2つに折る
②2枚一緒に線の所を切り込みを入れ、点線の所を後ろ側に折る。
③うでの部分を点線の様に折り上げて、手を上げている様に上に向ける。
④画用紙に自分で体に合うような大きさのイエス様の顔を描く。
⑤画けたら切りとり、顔に貼る。
・天に上げられたイエス様を見て弟子たちはどんな事を思ったのだろう。
・「高い所からの力」(49節)って何かな?