神さまは、憐れみ深い「まことの父」であることを子どもたちに伝える。
・登場人物(放蕩息子、父親、兄)のそれぞれの気持ちを考えてみよう。
・父親は放蕩息子の帰りをずーと待っていたよ。失われた者の回復を喜ぶ神の愛に注目してみよう。父親はどんな態度で放蕩息子を迎えたかな。
・弟を赦せない兄は、父親に対しても不満を抱いているね。でも父親はその兄の心に優しく語りかけているよ。父親は兄へ何かとても大切なことを伝えようとしているんだ、何だろう。
・「指輪」の所有者は父親から全権を委ねられた者、神の子の身分の回復を表す。
父の家を飛び出した放蕩息子は、持っていたお金を全部使い果たしてしまいました。ふところはすっからかんで、豚のエサを食べたいと思うほどお腹が空いていました。どん底の暮らしに、彼ははじめて父の家を懐かしく思い出しました。彼は何と言って後悔しているでしょうか。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」。そして、彼は父の家へ帰る決心をしました。
一方、お父さんは息子の帰りをひたすら待っていました。息子の姿を見つけると、遠くから走り寄って来て、息子をしっかりと抱きしめました。息子はお父さんに悪いことをしたなと思っていましたから、お父さんに怒られるかもしれないと覚悟をしていました。けれども、お父さんは息子の帰りを喜んでくれたのです。そして、息子に晴れ着と指輪を与え、宴会を開いて、美味しい食事で息子の帰りを迎えました。お父さんは何と言って喜んでいるでしょうか。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」。イエスさまも死んで三日目によみがえりましたね。
けれども、兄は弟の帰りを素直に喜ぶことができません。真面目な兄はお父さんが弟を咎めず、簡単に赦してしまったことが面白くないのです。ふてくされて家の中へ入ろうとしません。そこでお父さんは兄に対しても優しく諭しました。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」。兄はお父さんに対して、「子山羊一匹すらくれなかった」とすねていますが、父は「わたしのものは全部お前のもの」と言っています。実は、お父さんが与えたかった一番の財産は、父の心、人を赦す広いお心でした。お父さんの持っている財産の中でも最上級の宝です。
神さまのお心は海のように広くて深い。神さまは悔い改める者には赦しをもって、背き逆らう者には裁きをもって、共々に愛しておられます。いつの時にも我が子を愛し、罪人の立ち帰りを待っておられるのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□34番 「かいぬしわがしゅよ」
□改訂版55番 「小さい羊が」
※(イースターの準備)
イースターエッグやひよこの絵をたくさん描き、切り抜く(イースターにみんなで飾る)。
□「放蕩息子」と「父親」とは誰の事でしょうか。