・イエスさまが「あなたは、神の国から遠くない」と言われたのは、いったいなぜでしょうか。神さまがわたしたちを愛してくださっている喜びにあふれ、いのちのかぎり神さまを愛しなさい、と主は言われました。イエスさまはご自身を十字架にささげるほどに、わたしたちを愛してくださいました。第一の主なる神さまへの愛と、第二の隣人への愛は、イエスさまの十字架にあって一つに結びついているのです。
・今、わたしたち一人ひとりに、「いのち」が与えられている、生かされていることの意味をふりかえってみたいのです。主がこんな罪深いわたしを招き、さらに、みことばの奉仕の務めのために召し出してくださった、この奇跡とも思える出来事に心から感謝をしながら、子どもたちに語らせていただきましょう。
・「精神」というのは、原文のギリシャ語で「プシューケー」という言葉です。これに対応する申命記6:5の「魂」は、原文のヘブル語で「ネフェシュ」という言葉です。「プシューケー」も「ネフェシュ」も共に「いのち・生命・いのちの息」などを表わす言葉ですから、単に知識や理解において神さまを知るのではなくて、いのちの限りを尽くして、神さまを愛する(信じる)ようにすすめておられます。
・律法学者は「おっしゃるとおりです」と答えましたが、主のお言葉を自分流にしか理解できませんでした。ルカ10:26-37(「善いサマリア人」)でイエスさまが示されるように、次の段階が必要なのでした。
私たちに今、このようにいのちが与えられていることは、実にふしぎなことですね。あなたのお父さんとお母さんがたまたま偶然に出会い、そしてあなたが生まれました。お父さんにも、さらにそのご両親、つまり、おじいさんととおばあさんがおられるでしょう。お母さんにもまたご両親がおられますね。ずっとずっとさかのぼっていくと、どうなるのでしょうか? 今、ここに、あなたがいのちを与えられていることの不思議を思います。まさに、神さまのかくれたお働きがあったのですね。
さて、イエスさまは今日の聖書の個所で、たいせつな第一の掟として、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」とおっしゃいました。ところが、イエスさまに問答をしかけた律法学者は、「心を尽くし、智恵を尽くし、力を尽くして神を愛し・・・」と答えました。律法学者はイエスさまとは少し違った言い方をしましたね。イエスさまの言われたことと、律法学者が答えたことを、じっくりと比べてみてください。
イエスさまが言われた「思いを尽くし」と、律法学者が答えた「智恵を尽くし」とは、ほとんど同じような意味です。いわば「考えうるかぎりの知識や理解を尽くして」ということです。イエスさまは四つのことを言われました。もうみなさんも気づかれたと思いますが、イエスさまが言われた「精神を尽くし」というお言葉を、律法学者は省いてしまっているということです。大切な言葉が抜けているのです。
この「精神を尽くし」というイエスさまのお言葉は、旧約聖書では「魂を尽くし」(申命記6:5)と表わされています。「精神」や「魂」という言葉は、もともと「いのち・命・いのちの息」を表わす言葉なのです。ですから「精神を尽くし」とは、自分に与えられた命を尽くして、いのちをかけて神さまを愛するように、つまり私たちに命を与えてくださった神さまを、自分のすべてをかけて愛するのですよ、そのようにイエスさまはおっしゃったのです。
ところが私たちは、神さまからいのちを与えられて、このように生かされているにもかかわらず、神さまのことをすっかり忘れてすごしていることがとても多いのです。イエスさまがおっしゃるように、命をかけて神さまを愛することができない私たち、私たちに与えられた「隣人を自分のように愛する」ことができない私たちです。しかし、そんな私たちのために、神さまの御子であるイエスさまが来てくださいました。そして、神さまの御心から離れようとする私たちを救い出すために、イエスさまはご自身の命を十字架にささげてくださいました。
イエスさまを通して、わたしたち一人ひとりに、何ものにも代えがたい恵みを与えてくださいました。神さまを愛する、つまり神さまを信じる信仰を与えてくださいました。信仰においてどんなときにも、どんなに苦しいときにも、どんなに悲しいときにも、イエスさまが共にいてくださるという「まことの幸い」を与えてくださいました。まことの「いのち」のうちに生かしていただく、という神さまからのすばらしい宝物をいただきました。私たちの姿が、イエスさまご自身の姿であるかのように、イエスさまの「いのち」の内に受けいれてくださいました。
この恵みの宝物を、あなたの中だけに留めておいてはいけません。この宝物は、ひとりの人から他の人へと流れ出ていき、あなたのまわりのお友だちをはじめ、多くの人たちに共有されるのです。「隣人を自分のように愛しなさい」というイエスさまのお言葉が響きます。神さまの恵みの賜物が、あなたのまわりの人たちへと流れ出ていくように、神さまがあなたを招いてくださったのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□3番 「きよいあさあけて」
□改訂版128番 「飢えている人と」
〈準備するもの〉
・青、緑、黄、赤の色紙を人数分
・直径60~70cm程のフラフープ(なければ新聞紙で輪を作り、ビニールテープで巻く)
・透明のビニール袋(大)
・セロテープ
①フラフープに透明ビニール袋を貼りつける(セロテープを使う)
②神さま役の人がフラフープを持って立つ1m~2m位離れた所に千を引き、そこに他の人は並ぶ
③初めに1人ずつ青い色紙をもらい、「心」と言いながらその色紙を丸めてボール状にし、順番に1人ずつフラフープの中にそのボールが入るよう集中して投げる。
④全員投げ入れたら、次は緑の色紙を精神と言いながら同様に投げ入れていく。黄色は思い、赤は力と言い、同様に投げ入れる。
□自分の心、精神、思い、力を尽くして神さまに聞き、従い、いつも神さまを求めていくこと…それは、フラフープの中にボールを入れてようと集中するのに、ちょっと似ていないかな?色々な事があった時、神様に「どうじてですか?」と問いかけたり、「ありがとうございます」と感謝したり、「助けて下さい」と願ったり、いつも神様に向いて行くことが大切だね。神様の愛がたくさん感じられるようになるよ。
□自分を愛するように、隣人を愛するってどんな事?隣人って誰の事かな?