2015年10月18日 聖霊降臨後第21主日
マルコ10:17-31 ヘブライ3:1-6 アモス5:6-15

今週の聖句

「そうすれば、天に富を積むことになる。」
マルコによる福音書10:21

ねらい

私たちはキリストの言葉を学びます。それはすぐに生き方へと変えられるのです。キリストにあってどう生きるのか示されるのです。もっと言えば、キリストを生きるようにと導かれるのです。

 すでにここにおられるキリストが、私たちを力づけてくださいます。そしてその御言葉によって共に歩いてくださいます。キリストが私たちを愛してくださっているのは、私たちもまたキリストの恵みによって隣人を愛するためです。

 具体的に動くこと。それがキリストを生きることです。それはすでにキリストによって私に始められていることです。それにいつ気がつくか。先でしょうか、後でしょうか。

説教作成のヒント

本日登場する男が「永遠の命」を真剣に求めていることは、彼の態度にすでにあらわれています。彼はイエス様に走り寄って、ひざまずいたのでした。その姿はイエス様に真剣に教えていただこうという態度でした。

 ところが、この男に対するイエス様の答えは、聖書に書かれているそのままの通りのことでした。なにも珍しいことでもなく、神様がすでに十戒において教えておられることですよと言われたのです。しかし、ここに大変なことが隠されていたのです。イエス様が教えてくださったことは、あたりまえのことだけど、それを生きてみなさいということでした。聖書に書かれていることを忠実に守るだけではない。聖書にかいてあることを生きていればよいと言われたのでした。

 十戒を守るということと、十戒を生きるということは違います。守るというのはあくまでも個人的ことです。ところが十戒を生きるということは、隣人と共に生きるということなのです。なぜなら十戒は、個人のためのものではなく、人間全体のものだからです。つまり、人に施しをするのは当然なことなのです。神様にあって人は平和に過ごすようにと十戒が定められたのです。

 この男に欠けていたものは、「自分を愛するように隣人を愛する」という生き方でした。それは聖書を学んだものが、神様に生きて行く姿なのです。

豆知識

 ユダヤ人の『タルムード』の中に、「人は、黄金のナツメヤシや、針の穴を通り抜ける象を夢に見ることはない」という表現があります。あるいは聖書解釈集(ミドラシュ)の中に、「聖なる方は言う、私のために針の穴ほど戸を開けてくれるなら、私はあなたのために幕屋やラクダさえ通れるほど戸を開けよう」という表現もあります。当時のユダヤ人の言語習慣として、「小さな針の穴」と「大きな動物」との対比はよくある表現だったと思われます。まったくありえないことだという表現だと思われます。

説教

神様の国にポムという天使がいました。ポムはとっても元気な天使で、神様のご用を毎日楽しくしていました。ある日ポムはイエスさまに呼ばれました。

イエスさまは「ポム、今日は私のかわりに地上へいってくれないかい。ポムの思うとおりに何をしてもかまわないから」と。イエスさまのお仕事をまかせられたのです。ポムは大喜びで天使の羽をひろげて地上へ舞い降りていきました。

ポムは「さて、どこかに困っている人はいないかな」と探し始めました。すると小さな女の子の泣き声が聞こえてきました。走っていて転んだのでしょうか、小さなケガをしていました。ポムは女の子のそばに行きました。「大丈夫だよ。痛くない痛くない」と起こしてあげようとしました。でも女の子はもっと大きな声で泣いてしまいました。ポムは困ってしまいました。どうすればいいんでしょう。おろおろするばかりです。その時です。ポムは「こんな時イエスさまだったらどうするだろう」とふと思いました。ポムが小さかった時、イエスさまはどうしてくださったかと思い出そうとしました。そして思い出したのです。

ポムはもう一度泣いている女の子の前に立ちました。そして声をかけました。「転んで痛かったね。驚いたね。もう大丈夫だよ」と抱きしめてあげました。すると女の子は泣きやんで元気になりました。そして「ポムありがとう。痛かったことをわかってほしかったの」とお礼を言われました。ポムは「僕も転んで泣いたときイエスさまはこうやって慰めてくれたんだ」と教えてあげました。

ポムは再び空へ舞い上がりました。今度は病気で寝ている男の子がいました。ポムはまた考えました。「イエスさまだったらどうされるかな」。ポムは急いで男の子のベッドへいき、お祈りしました。次にケンカをしているお友だちを見かけました。でももう大丈夫です。ポムはいつも「イエスさまだったらどうなさるか」を一番に考えることができるからです。それからどんなことにであってもポムはイエスさまのお言葉を思い出すことにしました。

ポムは神さまの国へ帰り、今日あったことをイエスさまにはなしました。「イエスさまだったらどうされるかな」と考えながら一日を過ごしたことも話しました。イエスさまはとっても喜んでくださいました。世界中のみんなが神さまのことを思い出して、イエスさまのお言葉通りに生きていけたらとってもすばらしいとポムは思いました。

今日の聖書は「先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる」という言葉です。何をすれば神様の国にいけるかなって考えてしまいます。でもポムのように、イエスさまのことを思い出したり、イエスさまのお言葉を思い出したりすることが大切ですよね。イエスさまだったらどうされるかな、とお祈りすることです。きっと教えてくださるはずです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□63番 「あさひうけて」

□改訂版127番 「朝日うけて」

やってみよう

スズランテープなどで子どもが潜り抜けることができるか、できないか、の適当な大きさの○を作る。そのひもをくぐりぬける。ことができるかな?

はなしてみよう

1、 イエス様のみ言葉で何を覚えていますか。

2、 イエス様のみ言葉のとおりできていますか。

3、 イエス様のみ言葉を覚えるだけでいいのか。