2015年10月4日 聖霊降臨後第19主日
マルコ9:38-50 ヤコブ4:13-5:8 民数記11:24-30

今週の聖句

「自分自身の内に塩を持ちなさい。」
マルコによる福音書9:50

ねらい

自分自身の内に塩を持つ。イエス様の十字架の重荷をもつ。これが私たち互いを平和にすごすコツです。自分は自分はと前にでず、自分の重荷(十字架)をかえりみること、悔い改めることが人をイエス様へと導くのです。「つまづかせる」ものにならず、「罪を犯させる」ものにならず、主の平和のうちに過ごすことができる。

 それは十字架の重荷を中心におき、互いに負いあうことで築き上げられていくのです。塩はよいもの。私たちの中にある、主にある重荷はよいものです。それによって多くの人々をつまずかせることもなく、むしろ平和を持つことができるのです。

説教作成のヒント

ここで語られたイエス様の言葉は、とても謎にみちています。いったい何をイエス様は言われたのでしょうか。何度も読み返すうちにはっきりしてくることは、「つまずかせるならばそれを捨てよ」ということです。これはイエス様に従うものの努めだといえます。

 それでは「つまづかせる」とは一体どういうことでしょうか。実は、この「つまずかせる」という言葉は、「罪を犯させる」と言う言葉と同じです。ですから読み替えてみると、イエス様は「わたしを信じるこの小さな者の一人に罪を犯させるなら」と言われたことになります。

 イエス様に従うものは、小さい者に罪を犯させるようなことをしてはならないし、させてはならない。そして自分自身に対しても罪を犯させてはならない。むしろ自分自身の内に十字架の重荷を持つことで互いに平和に過ごしなさいといわれました。

豆知識

キリスト新聞社版『聖書辞典』の塩の項の説明に「パレスチナの岩塩は風化したり湿気を吸って潮解し、後に『塩気がなくなった塩』が残り、肥料にもならず、無用の長物として道に捨てられる」と記されています。「もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである(マタ5:13)」ということです。塩は、腐敗を防いで清さを保つ、長持ちさせる効果があります。生命の維持に欠かせないものでもあります。「地の塩」であることとは、地上にあってイエス様の塩味を効かせることです。また塩は「重荷」と一緒に語られることもあります。聖書における「塩」はいろいろなたとえで用いられています。また「光」と一緒に語られています。

説教

 みなさんは、コアラを見たことがありますか?先生もありますよ。かわいいですよね。それではコアラの赤ちゃんを見たことがある人いますか?見たことがある人、手をあげて。(見たことがある生徒がいたら少し聞いてみる。)先生はまだ見たことがありません。だってコアラの赤ちゃんはとっても大切なところにいるからです。どーこだ。背中?残念でした。実は、お母さんのおなかにある「袋」のなかにいるのです。そう、カンガルーさんといっしょなんです。ですからコアラの本当の名前は、「袋をもった灰色の動物」というのだそうです。

 さてここで問題です。コアラの袋は上を向いているのでしょうか。下を向いているのでしょうか。カンガルーさんみたいに上だと思う人、手をあげて。いやいや下だと思う人、手をあげて。正解は「下」です。ウッソーと思うでしょう。だって袋が下を向いていたら赤ちゃんが落っこちてしまうもん。でも大丈夫なんだって。しっかり出口は閉まっているからです。

 それではもっと難しい質問をするよ。「なぜ、コアラのお母さんの袋は下を向いているのか?」さて困ったでしょう。ヒント?「ウンチ」に関係あるのです。正解は赤ちゃんコアラがお母さんのウンチを食べるためなのです。ビックリしたでしょう。ウンチが食べやすい所に袋がついているのです。コアラの赤ちゃんはお母さんのウンチを食べて大きくなるのです。しかし、これはとっても大切なことなんです。

 コアラはユーカリという木の葉っぱしか食べません。ところがこのユーカリという木の葉っぱには、「ユーカリオイル」という毒が入っているから大変です。他の動物がユーカリの葉っぱを食べたとしたら死んでしまうのです。ところがコアラだけは大丈夫。その毒を消す力を神さまから与えられています。でもそれは大人コアラだけで、赤ちゃんコアラにはまだそれがありません。そこで「ウンチ」の登場です。

 みなさんは、もうどんなものでも食べられますね。でも赤ちゃんの時はどうでしたか。そうですね、お母さんのおっぱいを飲んでいましたね。赤ちゃんコアラも同じです。

 そしてだんだん大きくなっても、すぐには大人と同じものは食べられませんでした。離乳食というものがあったんですよ。おっぱいから普通の食べ物に変わるときに、お母さんが苦労してつくってくださるのです。

 さてそろそろ、コアラのウンチのなぞなぞがとけましたか?そうなんです。お母さんのウンチは、赤ちゃんコアラの離乳食なんです。ユーカリの葉っぱをお母さんがまず食べます。そして、毒のほとんどをお母さんがとってくれるのです。そしてかなり毒がぬけた葉っぱをくちゃくちゃにしてウンチとして出す。するとコアラの赤ちゃんが毒がぬけた葉っぱを食べるのです。お母さんコアラにとっても安心して子どもが育てられるのですね。

 きょうは、「自分自身の内に塩を持ちなさい」という言葉をききました。これはひとりだけで困ったりせず、みんなで助け合いましょうという言葉です。コアラのお母さんは、赤ちゃんコアラがユーカリの毒で死なないように、自分で、その毒を体に受けたのでした。だからこそ、お母さんコアラも赤ちゃんコアラもお互いに元気で過ごせるのです。もし、お母さんコアラが「毒はいや」といったら赤ちゃんコアラは生きていけない。また、赤ちゃんコアラが死ねばどれだけお母さんコアラは悲しいでしょうか。

 私たちもイエスさまを中心にして、互いに助け合いたいですね。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□36番 「しゅイエスのみちを」

□改訂版120番 「主イェスの道を」

やってみよう

距離を決め、1グループ・2~3人くらいになり、ケンケンで競争する。ゴールした人は下の聖句を暗唱する。「わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。」

はなしてみよう

1.塩って人間にとってなんだろう。

2.自分の内に塩をもつって何だろう。

3.お互いに塩を持つことって、いったいどんなことなのかな