歴史的な背景をこまごま話し出すと、子どもたちを困惑させてしまうこともあります(大人でも)。食卓からパンが落ちるほどに、神の恵みは、溢れるというところに絞って考えたらと思いました。
聖書の言葉は、無駄なく書かれているところがあると思います。その意味を汲み取りつつ、子どもたちに伝わりやすく、肉付けをして語ることは、ひとつポイントであろうと思います。今回のテキストにおける女性の言葉、イエスさまの言葉、意味が変わるほどになってはいけませんが、生き生きとした場面を思い描いてもらうためにも、せりふに肉付けをすることに工夫をするのは良いと思います。
ユダヤ人は、異邦人のことを「犬」と呼ぶことがあったようです。わたしたちも、「権力の犬」といったように、悪い意味で使うことがありますね。ここでは、「小犬」と訳されているように、「犬」という響きとはちょっと違う単語が用いられています。野良犬ではなく、飼い犬のイメージ。イエスさまは、この時、まったく侮蔑的な言い方はなされなかったと思われます。
「わたしはいつもあなたと共にいる。」という言葉を聴いたこと、あるでしょうか。わたしはいつもあなたと共にいる。」これは、イエスさまが、わたしたちに下さったお約束です。わたしたちが、どこにいても、だれといても、何をしていても、イエスさまは、あなたのそばにおられます。その約束が、「わたしはいつもあなたと共にいる」というお言葉です。日本にいる私たちだけではありません。中国にいる人も、アフリカにいる人も、ドイツにいる人も、・・・。世界中どこにいても、「わたしはいつもあなたと共にいる」と、イエスさまは私たち皆にお約束してくださいました。そのことを思い出すと、先生は、とっても安心します。一人ぼっちじゃないんだ、いつもイエスさまが一緒にいてくださるんだ、と思うと、先生は、いつも安心できます。みんなも、色々な時に、ぜひ思い出して下さい。
さて、でも、昔は違いました。イエスさまは、今から2015年前に、ユダヤの人々の暮らすところでお生まれになって、ユダヤの人々と一緒に生きておられました。その時は、みんなと一緒にいてくれるイエスさまではなくて、「ユダヤの人々と共にいる」イエスさまでした。父なる神さまが、そのようにして、初めは、ユダヤの人々のところに行かれることをお望みだったからです。
さて、そんなイエスさまのところに、ユダヤの人ではなく、ひとりのギリシヤ人の女の人がやってきました。おうちで娘さんが病気で苦しんでいたので、イエスさまになおしてほしいと願ったからです。この人は、ユダヤ人ではありませんでしたが、イエスさまのおうわさを聴いて、やってきました。こんなとき、ユダヤの人ならば、すぐに病気をいやしてくださるイエスさまでした。けれども、天の神さまから、「今は、ユダヤの人々のために働きなさい」と言われているので、「まず子供たちに食べさせないといけない。テーブルの下の小犬にはあげられない」とおっしゃってこの時はお断りになりました。それは、「わたしは今は、一緒に暮らしているユダヤの人々のために働いているのです。」ということだったようです。
それにしても、同じ人間なのに、「小犬」なんて言われて、女の人は、どんな気持ちになったでしょうか。もしもわたしだったら、「じゃあ、いい。もう頼みません」と怒ってしまうかな、と思います。でも、このギリシヤ人の女性は、あきらめませんでした。彼女は、イエスさまは、本当はユダヤの人々のためだけの神さまではない、みんなをお救いになるお方だ、と信じていたようです。神さまのお恵みは、ユダヤの人々のためだけ、なんて、そんな小さなものではない。それは世界中の人々にあふれるほどだと信じていました。だから、「そうですね、イエスさま。あなたがテーブルでパンを子どもたちにお与えになるのは大事なことです。でも、あなたがお与えになるパンは、テーブルにのりきれないほどですから、そこから落ちてくることでしょう。そうしたら、テーブルの下にいる小犬もそのパンをいただくことになるでしょう」と答えたのです。
こんなに深く、深く、神さまの愛を信じている姿をご覧になって、イエスさまは、「あなたは、ほんとうに、ほんとうに、心から神さまの恵みを信じているのですね。わかりました。おうちに帰って御覧なさい。もうお嬢さんは、治っていますよ」とおっしゃいました。女の人がおうちに帰ってみると、娘さんは、本当に元気になっていました。
テーブルからあふれてこぼれるほどのパン。それは、天からこぼれるほどの恵み。わたしたちがどこにいても、いつも一緒にいてくださるイエスさまの恵みのことです。あのギリシヤ人の女の人のように、私たちも、イエスさまのこと、心から信じたいものです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□56番 「かみよこのひ」
□改訂版31番 「主よ、おいでください」
この女性は、結果的には、娘さんの病気をいやされるという答えをいただきましたから、ある意味で、ハッピーエンドです。でも、わたしたちがどんなに祈っても、願いが叶わないこともあります。「祈る」ということについて語り合い、また実践してみていただきたい。
机の上に人数分のお皿を置きパンを少しずつ切って入れてみんなで食べてみましょう。
次に机の下に紙を敷いてパンを小さくちぎってばらばらと置き机の下に入ってパンを食べてみましょう。
どっちが美味しい?机の下で食べるのも面白いし美味しいかもしれないねえ。
でもいつも何時も机の下で食べるのはどう?ちょっと犬みたいねえ。
もしこれがパンでなくてとっても美味しいケーキだったら机の下におちたのも食べる? 等々話し合ってみましょう。
高学年
イエスさまは「子どもたちのパンを取って子犬にやってはいけない」と言われました。
いつもイエスさまは優しいと思っていたけどなんだか意地悪みたいですね。
子どもたち、って誰の事でしょう。子犬って誰の事でしょう。話し合ってみましょう。