神の国の譬えである。成長していくには過程があり、出来上がるものが自分のためになるものではなく、他者のためのものとなること(穂は人の栄養になり、大きな木は鳥の休み場となる)を伝えたい。
イエス様は人々の聞く力に応じて譬えを話されたこと、またひそかにすべてを説明されたことを見落としてはならない。
穂は多くの実をつければだんだんと垂れてくる。それはキリスト者が他の人に仕える、頭を垂れて生きる姿と同じ。からし種はこの世界で最も小さな種と言われている種。
洋からし(マスタード)の木(カラシナ、正確には草)は北米、中東、地中海に生育し、エジプト時代から香辛料や薬草、あるいは防腐剤としても使われた。うちブラック・マスタードの種は極めて小粒。キリスト教文化圏では「からし種」は、信仰心や真理をあらわす宗教的な言葉としても使われる。
口で筆を持ち、絵を描き、詩を書かれる星野富弘さんは学校の先生をしている時に怪我をして、体が動かない大きなハンディを与えられ、今まで歩んできたスピードと違うスピードで歩むことになりました。しかし、そこで今まで持っていなかった特別な時間を与えられました。描く絵からはゆっくりと眺めた者でなければ気づかない細かさがにじみ出てきます。一日二、三時間しか筆を持つことができませんから一枚を書き上げるのに何日もかかることがあるのでしょう。そんな星野富弘さんの春という題の詩があります。「花がきれいですねえ、誰かがそういってうしろを過ぎていった。気がつくと目の前に花が咲いていた。私は何を見ていたのだろう。この華やかな春の前で、いったい何を考えていたのだろう」。この詩は人間のスピードと神さまのスピードの違いを教えてくれるように思います。人間が見ているから、同じスピードで歩んでいるから、世話をしているから花が育つのではないのです。知らぬ間に、誰も見ていなくても育っていきます。当たり前のようでありながらそれは気づく人には大きな恵みです。育ててくださる方がおられるのです。
イエス様はたとえ話を二つされました。田んぼで稲が育っていく。誰も見ていないのに神さまが育ててくださる。穂が豊かに実ると、垂れて、それを神さまが刈り取ってくださる。からし種という世界で一番小さな種が大きな木へと育っていく。稲穂、お米は食べられて、人間の栄養になります。大きな木に育ったからし種は鳥たちが羽を休める場所になります。育って、大きくなるのは自分勝手に好きなように生きるためではありません。神さまはそのことを仕える者になると教えてくださいます。私たちも神さまによって成長させられて、多くの人の役に立つ生き方、仕える者として生きていきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□90番 「うたいましょう」
□改訂版126番 「うたいましょう」
とても小さな種が、やがて成長して花を咲かせるのには神さまの業があることを実感できるような体験をする。小さな種に秘められている、力強い生命力は、神さまによって成長するのだということを知る。コスモスを蒔くと、秋に花が咲く。
<用意するもの>
種(できるだけ小さなもの)
小さな植木鉢土、培養土 など。
□毎日誰かが水やりなどの世話ができるようにし、折に触れ、成長をみんなで見守る。