イエス様は神さまから遣わされみことばを語った。宣教するイエス様は容易には理解されなかった。悪霊の力をもってみことばを語っていると言われたが、そのことにご自分を冒涜されたことを怒るのではなく、神さまを冒涜することは赦されないと言われたこと、栄光を神さまに帰そうとするイエス様の姿を伝えたい。
内輪もめをしないという譬えを通して、イエス様が今の人々の間以外の所から遣わされたことが語られている。
まず強い人を縛り上げるの強い人とは単純に人を指すだけではなく、わたしたちの内にある頑固な部分と読むことができる。
ベルゼブル(ベルゼブブ)は悪霊の王とされる。旧約聖書『列王紀』に登場する、ペリシテ人(フィリスティア人)の町であるエクロンの神バアル・ゼブブ(バアル・ゼブル)と同一とされる。この名はヘブライ語で「ハエの王」を意味する。
きれいな円、丸を書くためにはどうしたら画けるでしょうか。きれいな円を描くための道具にコンパスというものがあります。真ん中に針を刺して固定して画いていくときれいな円が描けます。もちろん、これが途中でずれてしまうときれいな円になりません。中心が一つであれば丸が書けます。では、皆さんは楕円って知っていますか?ちょっと細長かったり、太かったりする円のことです。この楕円の書き方は中心と言いますか焦点を二つまたは三つ作ると楕円になるのです。そうです、中心が一つではなくて二つ以上ある時にはその円はどんなにがんばっても楕円になってしまいます。
もし、わたしたちの人生にきれいな円を描きたいと思ったら、中心を一つにしなくてはなりません。そして、キリスト者にとって中心はただ一つしかありません。それがイエス様であり、神さまのみことばです。今日のみことばでイエス様は家を略奪するときには「まず強い人を縛りあげてからその家に押し入るべき」と言われます。もちろん、本当に家に押し入ろうというのではありません。わたしたちの心、人間という家の中に入るためにはまず、罪という強いもの、まっすぐに生きようとすることを拒む心を縛り上げなければならないことを伝えます。わたしたちの心の中にある悪いもの、もう一つの中心になろうとするものはイエス様が縛って取り除いてくださると約束してくれるのです。
そして、人々はイエス様のことを悪魔の頭だと言っていました。まだイエス様のことを理解できなかったのでしょう。分からないことがあると事実と違うことを言いふらしたりすることがありますが、それはいけないことです。本当は何かちゃんと自分で確かめないといけないですね。イエス様は神さまが遣わしてくれた方。人を滅ぼす言葉ではなく、助けて育て、生かす言葉を語ってくださる方です。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□60番 「かみよわたしの」
□改訂版7番 「イェスさま きょうもわたしを」
<用意するもの>
□どちらかの風船(ここでは赤)を神さまに従う心に、また、もう1つの風船(青)をわたし達を神さまから引き離そうとするサタンに見立てる。たとえば、
・疲れて電車で座っているときに、おじいさんが乗ってきた!
・意地悪されている友だちを見た。声をかけようかな……どうしよう……。
・落とした荷物が散らばってしまった人を見かけた。急いでいるんだけど……。
こんなとき私たちの心の中に膨らんでいるのはどちらの色の風船だろう?どちらの色の風船を膨らませたい?1つの心の中で2つの風船を膨らませたりしぼめたりしながら心の動きをみんなで考えてみる。
□「今、ここにイエス様がいたら、どうさなさるだろうか」をひとつのヒントとして示す事もできる。
□結びに「かみさまが喜ぶ事ができる子どもにしてください」、と心を合わせて祈る。