2015年6月28日 聖霊降臨後第5主日
マルコ3:1-12 イザヤ58:11-14 2コリント5:1-10 

今週の聖句

「その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。」
マルコ3:1-12

ねらい

安息日は、すべての人にとって、救いと喜びの日であることを伝えたい。

説教作成のポイント

先週の日課に続く、安息日論争である。「人の子は、安息日の主でもある」(2:28)という御言葉のとおり、イエスが安息日の主であり、イエスの御言葉と御業が礼拝を通して顕わされる日が安息日であることを伝えたい。それゆえ、その日、主の救いの御業から漏れてしまってよい人など一人もいないことも、合わせて伝えたい。

豆知識

テキストに登場する「ヘロデ派」とは、ガリラヤ地方を治めていたヘロデ家の支持者たちで、権力維持のためにローマと妥協することもやむなしとしていた。一方、ファリサイ派は律法の厳格な解釈と実践に務めた人たちで、政治的には反ローマの立場だった。したがって、両者は本来は相容れない間柄だったが、イエスを殺そうとする目論みにおいては一致したのである。

説教

今日は、イエスさまが手の不自由な人を癒されたお話しです。みなさんの中にも怪我をして手の骨を折ってしまったことある人はいませんか?骨が折れると、痛いし、不便だし、包帯でぐるぐる巻きになるので悲しいですよね。イエスさまがいやされた人は、もともと手の骨が曲がってしまう病気だったようです。だからギブスをはめても治らず、長い間苦しんでいました。お医者さんでも治せなかったのです。でも、イエスさまは病気を癒す力をもっておられましたから、治すことが出来ました。「手を伸ばしなさい」と、一言イエスさまが言われただけで、その人の手は元通りになりました。嬉しかったでしょうね。

ところがその様子を見て、けしからん!と思った人たちがいました。ファリサイ派とヘロデ派の人たちです。なぜそう思ったのかというと、イエスさまが手の不自由な人を癒された日が、安息日だったからです。先週のお話を覚えていますか?やはり、安息日のお話でした。イエスさまの弟子たちが、安息日に麦の穂を摘んでいるのを見て、「なぜ、してはならないことをするのか」と言ってましたね。律法によると、神さまを礼拝する安息日の日には、仕事をしてはいけないことになっていました。それで、麦の穂を摘むことも、病気の人を治すことも、ダメだ!と、ファリサイ派やヘロデ派の人たちは考えたのです。

イエスさまは、彼らに言いました。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」。答えは分かりますね。悪いことではなく、善いことをすること。殺すことではなく、命を救うことこそ神さまが喜ばれることです。だから、イエスさまもそうなさいました。その人の病気が治るために、その人が元気になるために。イエスさまは、いつも私たちのために善いことをしてくださいます。私たちもイエスさまのように、勇気をもって善いことをできる力を神さまからいただきましょう。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□5番 「かみさまは」

□改訂版48番 「おそいくるライオン」

はなしてみよう

・ イエスさまは、なぜ敢えて「安息日」に病を癒そうとされたのでしょうか?しかも、病人を、会堂の「真ん中」に立たせて!・ イエスさまは、この日、会堂に集まって来た人々の反応を見て、怒り、そのかたくなな心を悲しまれました。私たちの心は、どうでしょうか?イエスさまを悲しませ、怒らせてしまうことはないでしょうか?

やってみよう

☆<○○さんが言いました>のゲームを「イエスさまが言われました」にして遊ぼう。

輪になって座る。

鬼は真ん中に立つ。

鬼は「イエスさまが言われました」と前置きを言ってから最初に「手を伸ばしなさい」と言う。その後は好きな動作を自由に指示して他の人は従う。「イエスさまが言われました」と言う前置きのない時は従わなくて良い。前置きがないのに言われた動作をしてしまったら間違い。3回間違えたら鬼を代わる。

鬼が代わっても最初は「イエス様が言われました、手を伸ばしなさい」で始める。