イエスさまが共にいてくださる喜び、イエスさまの新しい御言葉を聴く喜びを伝える。
選ばれている聖句は、単独で切り離されて格言のように使われることもあるが、この一節だけでは説教を展開するのは難しいだろう。むしろ具体的な「新しいぶどう酒」「新しい革袋」を、テキスト前半の断食問答の中から見い出してみてはどうだろうか?
ヨハネの弟子たちとは、洗礼者ヨハネの弟子たち。当時のエリート集団だったファリサイ派とは違って、ヨハネの弟子たちは一般大衆の中で活動していた。しかし、こと断食に関しては似たような見解を持っていたようである。言うまでもなく、イエスさまも断食を否定しておられるわけではない。しかし、「断食するときには、偽善者のような沈んだ顔つきをしてはならない」(マタイ6:16)とも言われている。どのような宗教的な行為であっても、それが神に認めてもらうためのものであったり、あるいは人にひけらかすようなものであっては、本末転倒である。
皆さんは、一日に何回ご飯を食べますか?朝、昼、晩。そう、皆さんのようにこれから体も心もどんどん大きくなっていく子どもたちは、一日3回ちゃんと食べることが大切です。もし1回でもご飯を抜いてしまうと、お腹はペコペコ、頭はぼーっ、体はふらふら。だから、朝ご飯もお昼の弁当や給食も夜ご飯も、残さずにしっかり食べてください。食べる時は、誰かと一緒に楽しく食べるとおいしさもアップしますね。料理を作ってくれた人と、食べ物を与えてくださった神さまへのありがとうの気持ちも、忘れずにね。
さて、イエスさまもいろいろな人と一緒にご飯を食べることが大好きでした。お弟子さんたち、徴税人や罪人と呼ばれていた人たち、それに誰も友達がいなくて一人寂しい思いをしている人の所にも行って、イエスさまは一緒にご飯を食べました。ところがそんなイエスさまを見て、「なぜ、あなたや弟子たちは断食しないのですか」と悪口を言う人がいました。断食というのは、ご飯を食べないこと。お腹が空いても食べずに我慢すると、みんなからもスゴイと言われるし、神さまからもほめてもらえる…と、多くの人はそう考えていたのです。しかしイエスさまは、そんな格好つけなくても、神さまに認めてもらおうとがんばらなくても、神さまはちゃんとあなたのことを愛してくれるよ、と言われたのです。これは、当時の人たちにとって初めて聴くお話しでした。みんなてっきり、自分でがんばらないと神さまから怒られてしまう…と思っていましたからね。
イエスさまは、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」とも言われました。それは、イエスさまのお話しを聴く時には、心を入れ替えて、新しい気持ちになって聴いて欲しい!と思われたからです。私たちも、イエスさまの御言葉を聴く時には、いつも素直な気持ちで聞けますように。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□1番 「みんなでたたえましょう」
□改訂版8番 「みんなでたたえましょう」
・今でも、断食をする人たちはたくさんいます。それは、どのような人たちでしょうか。また、彼らは断食にどのような意味づけをしているのでしょうか。「花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らも断食することになる」(20節)と言われたイエスさまの御言葉についても考えてみましょう。
・ 並行記事(ルカ5:33〜39)において、イエスさまは「古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである」と、補足されています。私たちの教会はどうでしょうか?
<用意するもの> 古い布(着物の古い端切、何度も洗った夏服の端切など出来るだけ古いぼろぼろの物)、新しい布針、糸、ハサミ(高学年はそれぞれに古い布と新しい布を10cm角程度、低学年は古い布、新しい布を大きめに)
◇高学年
生徒は古い布と新しい布を自分で縫い合わせてみる。その後両方を引っ張ってどうなるか試してみる。
◇低学年
大きめのハンカチかタオルくらいの古い布と新しい布を先生が縫い合わせて皆で引っ張り合ってみる。
参考 ※ビジュアル聖書百科p128皮袋の絵
□古い布が手に入りにくい場合ペットボトル、昔の水筒、竹筒、瓢箪、等、お酒や水を入れていた物、(実物や写真)を集めてみんなで水を入れてみたり出してみたりしてどれが便利か、較べてみても面白い。