イエスさまが罪人を招き、罪人と食事を共にされ、罪人を弟子とされたことの真意を探る。
徴税人レビの召命物語と、罪人と食事を共にされたイエスさまの物語が、分離してしまわないように心掛ける。
当時の徴税人が罪人と見なされていたのは、彼らが王や皇帝の権威を笠に着て法外な税金を取り立てていたことに加え、職業柄、外国人(異邦人)の手垢にまみれたお金にも触れざるを得なかったから。つまり、徴税人は宗教的にも汚れていると見なされていたのである。徴税人の救いに関する物語としては、ザアカイ(ルカ福音書19章)の話しも参照されたい。
イエスさまが、レビさんをお弟子さんにされた時のお話しです。レビさんは徴税人といって、人々から税金をとりたてるお仕事をしていました。当時の徴税人は、王様や皇帝から命令されるがまま、人々から税金をとりたてていたので、皆から嫌われていました。「俺たちからたくさんの税金を巻き上げるなんて、なんて酷い奴だ」「悪い奴だ」「罪人だ」と。レビさんも、そうでした。だから、誰も話しかけてなんかくれやしませんでした。
そんなレビさんに、優しく声をかけてくれた人がいました。「わたしに従いなさい。」そう、イエスさまです。これは「わたしのお弟子さんになりなさい」という意味です。イエスさまから、お弟子さんとして認められたレビさんは、どんなに嬉しかったことでしょう。
そこでレビさんは、お礼にイエスさまをお家に招待しました。そこには、レビさんと同じ徴税人や、罪人と呼ばれた人たちも招かれていました。ここで言う罪人とは、「こいつは変な仕事をしているから嫌な奴だ」「悪い奴だ」と、周りの人たちから勝手に決めつけられてしまった人のことです。しかし、イエスさまはそのような周りの評判は気になさらず、一人一人の心をご覧になる方なので、徴税人や罪人たちと一緒に楽しく食事をしたのです。 すると案の定、律法学者がイエスさまのお弟子さんたちに言いました。「どうして、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と。それを聞いたイエスさまは、こうお答えになりました。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」律法学者は、自分は律法をきちんと守っているから正しい!罪人なんかじゃない!と思っていました。しかし、イエスさまが喜ばれるのは、自分にも足りないところがあるなあ、悪いところもあるなあ…と思って、神さまと人とに素直に「ごめんさい」と言える人です。イエスさまは、そのような人をご自分のところへ招いてくださるのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□53番 「しゅにしたがいゆくは」
□改訂版119番 「主に従うことは」
・誰かに声をかけてもらったり、誰かと一緒に食事が出来ることの喜びについて、分かち合ってみましょう。その誰かが、イエスさまだったとしたら?
・ 現代社会における税金の役割と実際の使われ方、またその徴収方法について調べてみましょう。ま た税金が、本当に必要な所に使われているか?神が喜ばれるお金の使い方、使われ方とはどのようなものなのか、考えてみましょう。