2015年4月19日 復活後第2主日 
ヨハネ21:1-14 使徒4:5-12 1ヨハネ1:1-2:2

今週の聖句

「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」
ヨハネ21: 6

ねらい

わたしたちは時として、自分自身の計画がうまく進まないことにいらだったり、失望したりする。そして、その原因を探して互いを傷つけあうことがある。けれども実は、主イエスの言葉こそがわたしたちを導く力であり、主イエスの言葉に従う時、わたしたちは互いを支え合うことが出来る。

説教作成のヒント

漁に出かけた弟子達は、岸に立っていた人物が主イエスであるとは、最初はわからなかった。むしろ、その言葉に従った後で、それが主イエスであることが分かった。主イエスの言葉が、弟子達を変えてゆく力になっていることに注目する。

豆知識

11節で網に入っていた魚が「153匹」であったことの解釈については、古来より様々な解釈がなされてきた。例えば、ゲマトリア(ヘブライ語アルファベットを数字に置き換える暗号)説や、153は17までの自然数の総和であり10と7とで完全さを意味しているとする説などがある。その他によく知られている説としては、ヒエロニムスがエゼキエル書47:1-12の注解に際してヨハネ21:11に関連して触れている「魚は全153種類」という解釈で、全種類の魚が入った網は地上の全ての民からなる教会を象徴すると理解される。ただしこの場合、「大きな」魚であったことは説明できない。結局のところ、教父たちの解釈を超えるものは今のところ出ていない。

説教

今日の聖書の箇所では、弟子達が復活されたイエス様ともう一度別のところで出会ったお話しが書かれています。「出会った」と言いましたが、本当は少し違います。なぜならば、最初に会った時には、弟子達はそれが誰なのかわからなかったからです。

弟子達は、昔住んでいた湖の畔に戻っていました。その中の一人、ペトロさんは昔のように漁に出かけよう!と言ってみんなを連れて行きます。一晩中魚を捕ろうとしましたが何もとれませんでした。元々は漁師だった弟子達は、本当ならば魚を捕ること何て簡単にできるはずでした。それなのに一晩中かかっていろいろ試しても何にもとれません。きっと弟子達はお互いに、「お前のやり方が悪い」とか「いや、お前のやり方が間違っている」とか言い争っていたのではないでしょうか。

夜が明けた頃、復活されたイエス様が岸に立っていましたが、弟子達はそれが誰だか分かりませんでした。でもその人が言うとおり、網を打ってみると、なんと網いっぱいに魚を捕ることが出来たのでした。もともと漁師だった弟子達が一晩中がんばっても何もとることができなかったのに、その人の言葉に従った時、たくさんの収獲を得ることができたのです。それだけではなく、その人の言葉が、自分達の間の争いを無くして、力を合わせることが出来るようにしてくれたことを、弟子達は気付いたでしょう。その時、弟子達は「あれは復活されたイエス様だ」ということに気付いたのでした。復活されたイエス様の言葉が、弟子達が一つになって力を合わせさせたのでした。

わたしたちも、どんなにがんばっても思い通りにならない、期待していたとおりにならないことがあります。そんな時、わたしたちは誰かを憎んだり、傷つけあったりすることがあります。けれどもイエス様の言葉は、そんなわたしたちを力づけ、もう一度結び合わせてくれるのです。そして、わたしたちが気付かない時も、イエス様はわたしたちのそばで、わたしたちを力づける言葉を与えて下さっているのです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□90番 「うたいましょう」

□改訂版126番 「うたいましょう」

話してみよう

福音書の中のイエス様の言葉を探してみる。その中で、自分の好きな言葉、心に響く言葉をお互いに紹介し合ってみる。

やってみよう

☆私たちみ~んなが魚!

紙でそれぞれの子どもが魚をつくります。色をつけ、魚に自分の名前、家族や友だち、教会の人の名前などを書きます。シーツ、風呂敷のような大きな布を網に見立てて、その上に魚を並べます。布の四隅をまとめて一つに持ち、神さまが私たちすべてを一人ももれなく救ってくださる恵みをおぼえて感謝の祈りをささげます。

または魚に国の名前を書くのもよいでしょう。どの国のどんなひとも神さまは救ってくださるのです!

漁師さんになって劇遊びをするのも楽しいと思います。