聖壇のろうそくの灯りとイエスさまを重ねて合わせながら、イエスさまがわたしたちとともにいてくださることを理解させる。
ヨハネ福音書は観念的な言葉が多く続くため、子どもたちにメッセージをするのには大変苦労する。よって、身近にあるモノや絵を使って分かりやすく説明することに努めたい。「わたしは世の光である」というイエスさまを聖壇のろうそくの灯りに見たてて、話して行きたい。実際に手元に燭台を置いて、どうして礼拝でろうそくの火を灯すのかを説明すると、おのずとみことばの意味が浮き出てくる。また、受難節に選ばれているテキストだが、イエスさまの受難を子どもたちに理解させることに重きを置くよりも「イエスさまが共にいてくださる」という大事なメッセージを分かりやすく伝えるための大事な箇所としてこのテキストを用いたい。
そもそも、礼拝においてろうそくに火を灯すのは、原始教会が迫害の時代にあって、人眼を避けて洞窟や地下で礼拝をしていた時に聖書朗読の際、暗い室内で文字が読み辛かったために、聖書の文字にろうそくの灯りを近づけて読んだことに端を発する。これは、わたしたちがクリスマス・イヴのキャンドル礼拝を思い起こすと、経験的に理解できるものである。この初期の教会の伝統が「世の光イエスが礼拝時においてわたしたちと共におられる」ということを象徴的に示すものとして現代の教会にあって (このLED全盛の時代に) も守られている。
(聖壇から燭台を手元に持ってきてみんなに見せる。礼拝中にろうそくの灯りを灯している場合は十分に火に注意してください)。これを見てください。これはいったいなんでしょう?(子どもたちに答えさせる)。はい、正解。ろうそくです。みんなはどうして礼拝 でろうそくに灯りを灯すのか知っていますか?お線香に火を灯すため?ブブーッ。違います。タバコに火をつけるため?ブブーッ。これも違います。じつはね、礼拝でろうそくに火を灯すのは、イエスさまが「 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることがないように」と言われたことを思い出すためにつけるのです。みなさん、暗いところ、怖くありませんか?夜、トイレに行くとき廊下が真っ暗だと怖いですよね。みなさんは夜、一人でトイレに行けますか?あのね、イエスさまは「わたしは世の光です」と言われました。イエスさまは暗い廊下だけじゃなくて、全世界を照らす光としてこの世界に来られました。わたしたちはろうそくに灯された灯りを見るたびに「ああ、イエスさまがこの世界を照らす光として今、ここにわたしたちと共にいてくださる」ということを思い起こすのです。もちろん、このろうそくの火がイエスさまなのではありません。これはあくまで「火」です。わたしたちは、ろうそくの火をみるたびに「イエスさまが今ここに共にいてくださる」ということを知るのです。そういう意味では、礼拝は大事な時間ですね。イエスさまがいつも一緒ということを知る時間なのですから。あっ、夜、トイレに行くときにこそ「イエスさまが共にいてくださるから怖くない」ということを思い出して電気を付けてくださいね。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□32番 「ダビデのこホサナよ」
□改訂82番 「ダビデの子、ホサナ」
・ろうそくを家で使うことはありますか?
・聖壇のアコライト当番をしたことがありますか?スタッフの人に手伝ってもらいながらろうそくに火をつけてみようか?(実際に行う時には十分ご注意ください)。
・普段の生活の中でイエスさまが共にいてくださると思う時はどんなときですか?
部屋を暗くして、キャンドルに灯を灯します。キャンドルの火を見ながら、光の子として世に来られたイエス様のことを話し合ってみましょう。
・もし、光がなかったら?・真っ暗だとどんな感じ?・光があるとどんな気持ちになる?
<用紙するもの> 古いろうそく、古いクレヨン、タコ糸、割りばし、紙コップ、アルミお弁当用カップや色々な形のシリコンカップ等、小さいビンでもOK!
①ろうそく、好きな色のクレヨンを削る。
②鍋で削ったろうそくとクレヨンを溶かす。(ろうそくの芯は取り出す)
③溶かしたろうそくにタコ糸を浸して取り出す。
④溶かしたロウを型に流し込む。
⑤割りばしにタコ糸を挟み、ロウの真ん中に芯となるように、底を切った紙コップを使って固定する。
⑥固まったらできあがり。