・誘惑を受け打ち勝ったことで、イエスが人間を誘惑するすべてのものに対抗できることを知る。
・霊に導かれ天使たちが仕えることで、イエス一人で立つのではなく、上からの力が支えていることを知る。
・受難節では今まで以上にイエスの十字架への道を覚える。避けたい状況がなんども訪れるが、救いの成就のためにその道を歩まれる。十字架を避けたくなる状況と、荒れ野での誘惑が重なって見える。
・荒れ野は私たちの一般社会そのものと考えることができる。誘惑は身近な場所に存在する。
・12節「それから」という句で受洗と誘惑が密接に結び付けられる。受洗したキリスト者はしばしばイエスと同様に誘惑にさらされる。
・13節「四十日間」はモーセ(出34:28)やエリヤ(王上19:8)の経験を連想させる。
・「サタン」はヘブライ語読みの「サターン」、「告発人」「敵」の意味を持つ。
この日曜日から受難節・四旬節・レントと呼ばれる季節になります。特にこの期間にはイエス・キリストの十字架の意味を中心にして礼拝を守ります。先週の水曜日、「灰の水曜日」と呼ばれる日から始まっていますが、皆さんは「灰の水曜日」を耳にしたことがありますか?灰というのは、一つは人間が最後は灰(死)になること、その懺悔や悲しみの象徴(シンボル)として灰が出てきます。皆さんが読んでいる聖書の新約聖書では「罪の告白」(マタイ11:21)の意味も持ちます。さて、先週の水曜日から日曜日を除いて40日間、四旬節を過ごしますが、礼拝の中でもいつもと少し違うことがあります。「ハレルヤ」を使わないようにしたり、教会によっては始まりの鐘を鳴らさないこともあります。 また復活祭(イースター)に向けての洗礼の準備をする季節とも言われます。イエス様が私たちの罪の赦しのために十字架の上で死なれたことをしっかり学ぶためです。
(この中で洗礼を受けている人はいますか?)洗礼を受けたらクリスチャンとしての生活をしっかりしようと考えたりします。でも、なかなか思うようにならないものです。皆さんだけでなく大人の人もですが、イエス様の教えに従った生活をしようと心に決めていても、いろいろな誘惑に流されてしまうんです。みんなが、おもちゃで遊んでいるときに大好きなテレビ番組が始まったら「片付けるのは後からにしよう」と思ってほったらかしにしたことはありませんか。片付ける約束をしていても、テレビがあるからと言って後回しにしたことはないですか。実はそれも、誘惑されたことになるんです。自分のすぐ近くに誘惑することが多くあります。大人の人も「この服いいなぁ」「ご馳走を食べたいなぁ」という誘惑を受けてしまいます。誘惑を受けないようにすることは大変なことです。でも、イエス様は荒れ野で誘惑を受けられているのです。ワザワザ受けるなんて不思議ですね。私たちは誘惑されたことによって、誘惑に勝てない存在です。でもイエス様は「霊」に導かれて誘惑にあいました。これは、イエス様が 荒れ野の誘惑に負けることなく、父なる神様を信じる姿です。私たちを誘惑するすべてのものに勝つことができるイエス様の姿です。そして、私たちがあう誘惑の全てをご存知になるのです。
皆さんがあう誘惑の全てをイエス様は知っておられます。そして、その誘惑に打ち勝つのがイエス様です。イエス様は十字架に向かって歩まれますが、「怖いから逃げ出そう」「文句を言われるのは嫌だからやめよう」という誘惑に打ち勝つのです。それは、荒れ野での時間を過ごし、私たちの救いのために必要なことだと知っているからです。皆さんもこの季節、イエス様の「ゆるし」を考えてみましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□51番 「わたしはしゅのこどもです」
□改訂51番 「おそいくるライオン」
・「霊」によって導かれるが、聖書に出てくる「霊」でイエスの出来事に関係している箇所を、知っているだけ話してみましょう。そして、その箇所をみんなで読んでみて、霊の働きを分かち合いましょう。
・自分たちが40日間の誘惑に遭ったとしたら、それはどのような誘惑か話し合ってみましょう。(出てくる誘惑が、今の自分にとって関心のある内容となる。)
・どんな時にサタンからの誘惑を感じるか、発表する。
・誘惑に負けないようにどうしたらよいか考えよう。