・自分たちにとって《大切なもの》を独占したくなる弱さと、そのことを承知で宣教に励まれるイエスの姿。
・病人や悪霊に取り憑かれている人を癒してもらいたくてイエスのもとに連れて来た人がいる。聖書では詳しく記されていないが、そこには一緒に行動してくれる仲間がいることを考えてもらいたい。
・イエスは人々の求めに対し見事なまでに対応しているが、35節にあるように一人で祈りの時間を持っている。イエスにとって祈りの時間は父なる神との対話の時であり、本当の意味での安息の時である。自分の働き《癒しの業》は自分で手にしたものでなく、父なる神から与えられていることを忘れないからこそ、祈りの時間を大切にされている。自分たちが持っている《賜物》は一体誰によって与えられているかに気付いて欲しい。
・29節でシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネが列挙されるのは、35節以下の宣教旅行への出発を意識している。
・聖書で「熱を出していた」と言った表現は患者の危険な容体を示している。
・この箇所でイエスに癒し慰めを求める群衆は、ユダヤ教の教えに従ったままの状態である。日没と共に安息が終わるからである。
・悪霊を黙らせる理由として、彼らはイエスの本質を知るが、その認識は彼らの力の誇示であり、悪霊の力でイエスの本質を人々が理解するのはイエスにとって不本意である。
イエス様は安息日を神殿で過ごしてからシモンとアンデレの家に向かいます。ヤコブとヨハネも一緒に行きました。
イエス様にアンデレのしゅうとめさんが熱を出していたのを伝えると、イエス様が癒してくれたのです。そして日が沈むと安息日の時間が終わったので、多くの人たちがイエス様のところに病気の友達を連れて集まってきました。安息日の時間に働いてはいけないというキマリを守ろうとして、日が没むまで待っていたのです。
みんなは、病気になってキツくて「しんどいなぁ」と思った時に、すぐにお医者さんに診てほしいと思いませんか?(数秒、間をとる)ところが聖書に出てくるイエス様たちの時代には《安息日》に働いてはいけない!とキマリがあったので病気に罹った人をイエス様の所に連れて行くのも日が沈む時間になったのです。そうすると、イエス様が多くの人を癒したのは日が沈んでからなので、夜遅くまで多くの人の病気を癒したことになります。昼間には神殿で神様についての教えを伝えて、夕方からは病気の人たちのために癒しをしてくださる。ずっと働いているのですから、とっても疲れてしまうと思うんです。でも、イエス様は多くの人が病気を診て もらえないことを知っていたので、自分の体調がしんどくても多くの人を癒されるのです。
じゃぁ、イエス様が「疲れてしんどいなぁ」と思うくらいの働きをした時に、御自身を癒す為にどんなことをするか知っていますか?(数秒あく) 静かなところで神様とお話をする時間、お祈りをするんですね。イエス様が多くの人たちを癒す力は、神様から与えられたものです。その神様に感謝を捧げて、「これからどうしたらいいですか」とお話しするんです。その時間がイエス様を元気にしてくれる時間です。イエス様は一人でお祈りをしていたんですが、シモンたちから「みんなが探してる」と言われます。みんなはイエス様がずっと傍にいることを希望しますが、イエス様の働きは神様のことを多くの人に伝えることなので、他のところにも神様のことを伝えると言います。
わたし達は神様からいただく恵みを自分だけのものにしたいと思うこともあります。でも、イエス様が伝える神様の恵みは、多くの人に分け与えるものです。他の人に分けても溢れてくるほどの恵みです。病気の人をイエス様のところに連れきた友達みたいになれるよう、イエス様の教えてくださることを守っていきましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□45番 「わたしたちのともだちに」
□改訂122番 「さあ、共に生きよう」
・病気を癒してもらうためにイエス様のところへ日没後に集った多くの人々、私たちがイエス様の立場であればどう対処したでしょうか?その対処の方法を考えた時の気持ちを分かち合いましょう。
・イエス様は人里離れた場所で祈りの時間を持ちました。私たちがお祈りをする時間、場所、場合を考えてみましょう。神様へのお祈りの時間、内容は「お祈り」なのか「感謝」なのか「お願い」なのかを振り返ってみるのも良いでしょう。
用意するもの・・・大きな紙、サインペン等、画用紙、サイコロ・大きな紙に自分たちが行きたい国を書いてすごろくを作る。
・画用紙で一人ひとりののコマを作る。
・完成したらサイコロを振って世界宣教旅行にスタートしよう。