今日の箇所で、上記聖句(マタイ 25:40)をポイントとするならば、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人」とイエスさまとの連帯性が強調されることが望ましいと思います。
他の箇所とも共通するのですが、今日の箇所においても、「弱き者を助ける」といった単なる倫理・ 道徳的なものにならないように気をつける必要があります。イエスさまとの結びつきを無視して、倫理・道徳的なものにすることは容易いからです。教会学校の努めはイエスさまとの出会いのサポートにあると思います。ここに苦心するところがあるのですが、少しでも子どもたちと関わるイエスさまのお姿を示していけるように心がけたいものです。
皆さんも映画などで悪魔崇拝のシンボルとして「山羊」が用いられているシーンを御覧になったことがあると思います。これは、この聖書の箇所から欧米文化の中に根付いたものとも考えられているようですが、聖書を見ると、必ずしもそうではないのです。旧約聖書には様々な動物犠牲の規定が記されていますが、「山羊」は「羊」と同様に『聖い動物』として用いられてもいるからです。ですから、この箇所でも、「羊」「山羊」に何か特別な意味を読み取るのではなく、次のような解説が有効だと思います。「パレスティナにおいて羊と山羊は日中は一緒に放牧していた。夜になると、山羊は寒さをきらうので別に分けて洞穴や小屋に入れ、羊は新鮮な空気を必要とするので戸外の囲いに入れた。その習慣が素材になっている」(『新共同訳新約聖書注解Ⅰ』 日本基督教団出版局 148 頁)。
みんなの中でペットを飼っている子いる? あるいは、大好きなおもちゃや、大好きなぬいぐるみ、宝物なんてあるかな? そんな可愛がっているペットや、大好きなおもちゃ、ぬいぐるみ、宝物がほめられたら、どんな気持ちがするかな?
「◯◯ちゃんちのわんわん(ねこちゃん)、本当に可愛いよね」って、誰かになでなで可愛がってもらったら、なんだか自分がほめられているようで、自分が大切にされているようで、嬉しくならない?。
「あっ、だれだれくんのそのおもちゃ、かっこいいね」「あっ、だれだれちゃんのそのおにんぎょうさん、素敵ね」って言われたら、「えへへへ」ってなんだか嬉しくなっちゃうよね。
先生には息子(娘)がいるけど、その子がほめられると、やっぱり嬉しい。なんだか自分がほめられているような嬉しい気分になる。逆に、悪口なんかを言われると、自分に言われているように「カッ」と腹が立ったりする。その子が親切にされると、自分が親切にされているように、その人に感謝することができるし、逆に、いじわるなことをされると、自分がいじわるをされたように、「なんて嫌な人」って思っちゃったりする。みんなのお父さんやお母さんもきっとそうなんじゃないかな?
じゃあ、なんでそんなふうに思っちゃうんだろう。それは、きっと、その子のことが大好きだから…。大好きなペットだから、褒められると自分のことのように嬉しい。大好きなおもちゃやお人形さんだから、褒められると自分のことのように嬉しい。だから、先生は、みんなのことも大好きだから、みんなが褒められれば嬉しいし、みんなが誰かに親切にされると、本当に嬉しくなっちゃう…。ありがたいな~、と思う…。
今日の聖書の箇所でイエスさまはこうおっしゃったよね。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。イエスさまは、私たちのこと、みんなのこと大好きなんだよね。だから、みんな一人一人にされたことは、イエスさまはご自分にされたことのように嬉しいんだ、っておっしゃっておられるんだ。みんなが何かのことで褒められると、もちろん、みんなも嬉しいと思うけれど、みんなのことが大好きなイエスさまも、なんだか自分が褒められたように、嬉しくなっちゃうんだって…。みんなが誰かに親切にされると、もちろん、みんなも嬉しいと思うけれど、みんなのこと大好きなイエスさまも、なんだか自分が親切にしてもらえたように、嬉しくなっちゃうんだって…。それほど、イエスさまはみんなのことが大好きで、大切な存在だと思っておられるんだ。でも、待って…。イエスさまが僕(私)のことを大切にしてくださっているのは分かったけれど、それは僕(私)のことだけかな~。そう…、違うよね。僕(私)のことも大切に思ってくださっているけれども、イエスさまは他の子のことも大切なんだよね。だから、僕たち(私たち)が誰かのいいところ見つけて褒めてあげると、イエスさまもそのことを喜んでくださる。僕たち(私たち)が誰かに親切にしてあげると、何か困っていたとき助けてあげると、イエスさまはそのことも本当に喜んでくださるはずだよね。逆に、僕たち(私たち)が誰かの悪口を言ったり、意地悪なことをしたり、相手の嫌なことをするということは、もちろん、された子もすごく悲しむだろうけれど、イエスさまもまた、本当に悲しい思いをされるんじゃないかな?
みんなはイエスさまを悲しませたい? それとも、喜んで頂きたい?
今日はみんなに、イエスさまはみんなのことを、自分のことのように喜べるほど大好きで大切に思っていてくださることを知ってほしいと思います。そして、だからこそ、みんなも、イエスさまが大切にされている人たち…、お友達を、大切にしていってもらいたいと思います。
* 讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□ 35番 「しゅわれをあいす」
□ 改訂124番 「愛の主イエスは」
□Thuma Mina の 29 番
(Thuma Mina は、つかわしてください という意味の賛美歌で日本基督教団出版の世界からの賛美歌集)詳細は http://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/
・イエスさまが大切に思っている、今日来ているお友だちの、良いところをお互いに伝
え合おう。
・自分が気が付かない、お友だちや自分の良い面もあったかな?
・イエスさまは、良い面だけを見るのではなく、どんなみんなでも愛してくださっている。 イエスさまのように、どんな人でも、どんな自分でも大切にできるようにしたいですね。 「イエスさまがあなたのことを大好きと言っているよ。」と声に出して、お互いに伝えてみよう。