・自由について考える。
・世の中の自由と、イエス様が教えてくださる自由の違いをしっかりと理解する。
・私たちはイエス様とつながることによって、はじめて風に吹き飛ばされることなく、大空を舞うことができる。
・ここで言われる「真理」もまた、ヨハネ 14:6 でイエス様が語られる「真理」である。だからこそ私たちは主イエス・キリストの弟子として生きる中で自由とされるのである。
・宗教改革記念は10月31日であるが、その前の主日を宗教改革主日として覚える。2017 年の宗教改革 500 年に向け、つながりのある学びや礼拝が守れたらうれしい。
みなさんは「自由」ですか?「自由」って何ですか?
国語辞典を見ると(何でもいいので辞典をめくって)、1 自分の意のままに振る舞うことができること。2 勝手気ままなこと。わがまま。3他からの強制や妨害を受けないこと 4 法律の範囲内で許される行為 等々 と書いてあります。
さて、みなさんは「自由」ですか?
そうですね、自由な人もいるし、自由でない人もいますね。
さて、ここにもう一つの「辞書」があります。(聖書とりだし、めくって) 1あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。ヨハネ8:33 2だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。8:36 3主によって召された自由な身分の者は、キリストの奴隷なのです。一コリ 7:22 4あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ガラ 5:13 5 自由な人として生活しなさい。しかし、その自由を、悪事を覆い隠す手立てとせず、神の僕として行動しなさい。 等々 と書いてあります。
さて、これは何という「辞典」でしょうか?そうですね、聖書という辞典です。聖書は私たちに様々なことを教えてくれますが、教えてくれる以上に、今読んだように、私たちを「自由」にしてくるのです。
では聖書が語る「自由」って何でしょうか?
みなさんは凧揚げをしたこがありますか?聖書が語る「自由」はこの凧揚げのようなものだと思います。もし私たちが鳥なら、それこそ自由に空を飛べますね、でも残念ながら私たちは鳥というよりは凧だと思います。いろいろな失敗をするし、どこに行ってよいか道に迷うこともあります。だからやっぱり私たちは凧です。でも凧だって自由に大空を飛ぶことができますね、それには凧を飛ばす人がしっかりと風を読み、その人と凧の間にしっかりと糸がつながっているとき、その凧は大空高く自由に飛び回ります。凧をあげる人はもちろんイエス様です、そしてイエス様と私たちをつなぐもの、それが聖書です。聖書のことばによってしっかりとイエス様とつながるとき、私たちは大空を自由に飛び回ることができるのです。
今から497年前、正しく生きることができなくて悩んでいる人がいました、悪い心から解放されたいと、色々なことをためしました。しかし何をやっても悪い心から離れることができず「自分はだめなんだ」と思ってしまいます。そんなとき、聖書を通して、神さまから与えられたイエス様を信じる心によって人は正しい者とされ自由となると、自分の力ではなく、神さまの力によって人は正しい者とされ、自由になることに気づいたのです。
そう、この人がマルチン・ルターさんです。
* 讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□ 38番 「わたしたちのつみのため」
□改訂85番(1,2,4) 「イエスの担った十字架は」
ルターの紋章の色を塗ろう
ルターの紋章について
黒い十字架についた赤いハートは死んでよみがえったキリストへの信仰、その周りの白いバラはこの世を越えた喜び、慰め、平和を、空色の地は天の始まりを表し、それらを囲む金色の輪は永遠にして高貴な救いを与えられていることを象徴しています。
・マルチン・ルターという人について調べてみよう。どこで生まれた?何をした?
・宗教改革によってキリスト教の歴史はどう変わったか、牧師先生に聞いてみよう。
・自由について考えよう、あなたは自由?なぜ自由?自由でないとすれば、どうすれば自由になる?