・子どもたちも、イエスさまを、日常生活において、どのようにとらえるのかという問いに立たされている。これはまさに、子どもたちの「信仰理解」による、生活の在り方を考える機会になろう。
・一般論としてイエスさまを、どうとらえるかではなく、イエスさま自身が、「あなたはどう私を見ているのか」という問いであることを忘れないようにしたい。
・「メシア」=救い主。教会は、この「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰告白の上に立てられるというイエスのことばが昔から理解されてきた。使徒信条をもう一度、読み返していただきたい。ペテロ=岩の意。
イエスさまは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになりました。弟子たちが答えました。『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」と答えました。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と質問されました。他の人がどのように見るかではなく、皆さん一人一人に『あなたがたは』どう思うかと言われたのです。そして、シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたのです。私たちにも、弟子たちの場合と同様に、『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか』という、イエスさまからの質問があります。
歴史の中では、これまでにも、いろんな立場、いろんな考えから、いろんな答えを言う人があります。「イエスはえらーい教えを広めた人である」「イエスは革命家である」「イエスは体制と闘って死んでいった人である」その中には、「イエスは敗北した預言者である」というものさえあります。しかし、イエスさまが私たちに求めておられる答えは一つです。その答えは、ペトロの言った「あなたこそメシア・キリストです」というものです。
「あなたこそメシア・キリストです」この短い言葉は、信仰の告白と言います。教会は、この信仰告白に立つ人たちの群れのことであり、建物を指すのではありません。その一人一人がキリスト者(クリスチャン)なのです。
このペトロの信仰告白は、ペトロの心からの真実さがありました。
私たちの日常の生活では、神さまのことや、イエスさまのことが出てきません。しかし、「あなたはどう思うか」というイエスさまの問いかけをまじめに受け止め、それに真実さをもって答えようとしているかということなのです。
「信じられない」という答えが、イエスさまの問いに対して精一杯の答えであるならば、それはそれで、イエスさまもまた真剣に受け止めてくださるはずなのです。
一番悪いのは、心がそこにないということです。いくら正しい信仰告白をしても、心がそこになく、口先だけでイエスさまにお答えしているということほど、イエスさまの真剣な愛に対して悲しませることはありません。皆さんも礼拝で「使徒信条」を唱和するときがありましたら、ぜひ、なんといっているのかを心に留めて、よくよく考えてくださいますようにお願いします。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□67番 「ペテロは」
□改訂53番 「ペトロは」
イエスさまは色々なところで病気の人を治したり、沢山の人にパンを食べさせたりされました。
そこで人々はイエスさまのことを「洗礼者ヨハネ」だとか「エリヤ」とか「エレミヤ」と言う予言者だとか、また別の「予言者の一人だ」とか色々と知っている偉い人の名前を言って噂をしていました。
そんな時、イエスさまは「あなたはわたしを誰というか」とペトロさんに聞かれました。
では今から私がみんなに聞きますよ。
1、○印のカードと×印のカードを子供達に配りそれぞれ両手に○と×のカードを持たせる
2、教師は「じゃあ聞くよ、私が正しい答えを言ったら○のカードを持っている手を上に上げてね。間違いの答えを言ったら×のカードを持っている手を上げて下さい。
3、ではききますよ。私が言ったらすぐに○か×のカードを上にあげてね
イエスさまは、、、、、、、、、、(とここで長く引っ張って)エリヤ!
イエスさまは、、、、、、、、、、予言者!
イエスさまは、、、、、、、、、、メシヤ!
と色々な名前を言って手を上げさせる。テンポを速くしたり、最初を長くひっぱって紛らわしくしてみたりする。
では最後にみんなで言ってみましょう
「あなたはメシア、生ける神の子です」
□手立て
お母さんでも、お父さんでも、身近な人の絵を描いてみたらどうだろうか。そして、その絵の人を、どのようにとらえているかを説明し、その理解するところを分かち合ってみよう。
□その目当て
その説明をする中で、自分がどのようにその人をとらえているかに気づく。そこから発展的に、では、イエスさまについては、私たちはどうだろうか。そして、どのように、私たちに伝えているのかを考えたい。加えて、神さまが、わたしに隣人に対してどのように望んでおられるかを考えることもできようか。
・少し高学年ならば、「使徒信条」を一緒に考えてもよいかもしれない。使徒信条は、どのように神を、イエスさまを、聖霊を理解しているかを知る機会になるかもしれない。