日課には、イエスの湖上歩行とペトロの湖上歩行が記されている。どちらを取り上げるかによって説教の内容が大きく異なってくる。イエスの湖上歩行はマルコとヨハネにも記されているが、ペトロの湖上歩行はマタイのみである。旧約聖書のホレブでのエリヤの記事を考えて、ここではイエスの湖上歩行に焦点を当ててみたい。
イエスの湖上歩行という信じがたい奇跡物語は、湖上歩行という奇跡自体に重点を置くと本質が理解しづらくなる。また聞く子どもたちにも超人的なイエスの姿だけが残像となり、苦難に遭う時のイエスの存在という意識が希薄になる。どんな状況でイエスが出現したかに重きを置くとよいだろう。
神顕現を象徴するものは旧約聖書に多く見出されるが、それは新約聖書でも同様である。出エジプト記で記される全山雲に覆われたシナイ山、この日の旧約聖書の日課での激しい風、地震、火、新約聖書では山上の変容の際の雲はその代表例である。雲は人の目を遮り不安に至らせる。激しい風、地震、火は人を恐怖に陥れる。神はそのただ中に、またはその後に顕現する。要するに、人が神に出会う時とは、これらの不安や恐れのただ中で、あるいはこれらを経験したのちにということである。
先週は5つのパンと2匹の魚のお話をしましたよね。覚えていますか。今日お話しするのはそのあとすぐ起きたことです。あの後、イエスさまはすぐに、お弟子さんだけ舟に乗って湖の向こう岸へ行くようにお命じになって、ご自分はお祈りをするために一人で山に上られました。神さまに感謝するためだったと思います。
お弟子さんたちは舟をこぎ出し始めましたが、すぐに強い風が吹いてきて、漕いでも漕いでも舟は先に進まなくなってしまいました。イエスさまはそのことに気付いておられました。でも、そのままにしておかれました。お弟子さんたちに分かってほしいことがあったからです。お弟子さんたちは何時間も苦労しました。強い風ですから、小さな舟は大きく揺れます。怖かったでしょうね。
夜明け近くになりました。お弟子さんたちはずっと漕ぎ続けていたのでくたくたでした。そしてものすごく不安でした。嵐を静めるほどの力のあるイエスさまは今一緒でないし、自分たちで何とかしなくてはならないからです。誰も助けてくれませんから大変ですよね。とても悲しくなっちゃいますよね。
その時、お弟子さんたちは信じられないものを見たのです。誰かが湖の上を自分たちのほうに歩いてくる!わぁあ!幽霊だ!お弟子さんたちは恐ろしさのあまり、ただ震えるばかりです。すると、その誰かが声をかけてきたのです。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。「えっ?」。なんと、どう考えてもそこにいるはずのないイエスさまだったのです。湖の上を歩くなんてとても不思議なことですね。人間にできることとは思えません。けれども私たち人間がとても悲しんでいる時、とても不安で恐ろしい時、もう駄目だと思ってしまう時、だれからも見放されたと思えてしまう時でも、イエスさまはびっくりするような方法で私たちを見守っていてくださるのです。イエスさまはお弟子さんたちにこのことをわかってほしかったんですね。だから「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」とおっしゃったのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□119番 「やさしいめが」
□改訂114番 「やさしい目が」
付箋(大きめ)と書くものを用意します。
①付箋に、どんな時につらい、もしくは悲しくなるか書き出していきます。(1枚に1つずつ)
②みんなが書けたら、付箋に書かれたことが起きた時、自分でどうやって乗り越えていくか発表していこう。(発表が難しければ、付箋に書いてください)
③ペアもしくはグループになり、付箋を交換。つらくなっている、悲しくなっている友だちにどんなことができるか考えて発表してみよう。
④一緒にどんなことができるか考えてくれた相手にありがとうの握手をして終わり。
*助けてくれる友だちがいること、助けてくれる教会の人たちがいること、そして何よりもたすけてくれるイエス様がいることを伝えてください。
①つらい時や悲しい時、どんなことがあなたに必要でしょう。誰も助けてくれそうにない時はどうしたらいいでしょう。
②真剣な祈りはとげだらけの心を和らげます。具体的にはどんな働きなのでしょう。