2013年12月8日 待降節第2主日
マタイ3:1-12 イザヤ11:1-10 ローマ15:4-13

今週の聖句

「その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼をお授けになる。」
マタイによる福音書3:11

ねらい

・主の到来を迎えるということは、神の言葉と真剣に向かい合う、ということでもある。アドベントは、神の前の自分の姿を見つめなおすときなのである。

説教作成のヒント

・キリストを私たちの中に迎えるということは、神様からの「立ち帰れ!」というメッセージを受け入れることである。神に立ち帰ろうとするとき、わたしたちは神の裁きの前に、取り繕わない自分の姿をさらけ出すことになる。しかしそこで、わたしたちは罪人を憐れみ、救い出してくださるためにこの世へとやってこられた神の恵みと出会うことができるのである。

豆知識

・「荒れ野」は旧約聖書の時代から、神と出会う場所だとされてきた。荒れ野は旧約聖書の古代イスラエルの民が、モーセによるエジプト脱出の際に40年間さまよった場所でもある。その間、イスラエルは神に何度も反抗し、罰を与えられることもあったが、神はイスラエルが約束の土地に入るまで、離れることなく導き続けた。

説教

先週は、クリスマスの前は、イエス様を心の中にお迎えする準備をするときなんだよ、というお話をしました。今日は、イエス様がわたしたちのところにやってきてくださるときに、私たちの心にどういうことが起こるのか、というお話です。

ヨハネさんという人は、イエス様がみんなの前に姿を現す前に、「もうすぐ救い主がやってくるから、お迎えする準備をしなさい!」と呼びかけた人でした。その人が、もうすぐ来られるイエス様のことを、こう言いました。「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼を授ける人だよ」と。「聖霊」と「火」ということばが出てきましたね。「聖霊」とはわたしたちに働く、神さまの力です。「火」というのは、少し怖い感じもしますね。

火は便利なものですけれど、触るとやけどをしてしまったり、物を燃やしてしまったり、使うときに気をつけなければならない、少し恐ろしいものでもあります。「火」というのは物を燃やしつくしてしまうところから、悪いものを滅ぼしたり、よくないものをきよめたりする働きがあるとも言われていました。

少し怖いですね。やけどしてしまいそうです。けれども、イエス様をお迎えするということは、イエス様の火によって、わたしたちの心をきれいにお掃除していただく、という意味でもあるのです。聖書に書かれていることが、少し自分にとっては厳しいな、と思うことがありませんか。もちろん神さまは、優しい言葉や人を励ます言葉もたくさんくださいます。でもたとえば「あなたの敵を愛しなさい」とか「兄弟に『ばか』といってはいけない」といったイエス様の言葉を聞くと、ときどき、ギクッとすることがあります。あぁ昨日、あの子に意地悪しちゃったなぁとか、弟に「ばか」って言っちゃってるなぁ、とか、そんな自分のことを思い出すからです。そんなふうに、聖書の言葉は、わたしたちを励ますだけではなくて、ときどき心にぐさっと突き刺さったりもするんですよね。神様の言葉を聞くとき、わたしたちは自分の心の中に、冷たかったり、ときどき意地悪だったりと、あんまり知りたくない自分の姿を見つけてしまいます。

しかし、そのわたしたちのためにこそ、イエス様はこの世界に救い主として、生まれてきてくださったのです。イエス様は家畜のえさ箱である飼い葉おけの中に、生まれてくださったことはみんな、よく知っていると思います。飼い葉おけは赤ちゃん用のベッドとは違いますから、柔らかくもないし、暖かくもないし、清潔でもなかったでしょう。でもそのきれいではない、冷たい、固い飼い葉おけの中に、イエス様は生まれてくださいました。この飼い葉おけを、私たちの心だと考えてみましょう。私たちの心は、冷たかったり、きれいでなかったりして、イエス様をお迎えするのにふさわしいところではありません。しかし、そんなわたしたちと一緒に生きるために、イエス様はわたしたちのところに生まれてきてくださったのです。私たちの心の飼い葉おけに、喜んでイエス様をお迎えしたいですね。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□57番 「しゅよわたしをあわれみ」

□改訂65番 「主を待ち望むアヴェント」

やってみよう

☆CSクリスマス会の招待状を作って、お友達にプレゼントしよう。

(例)

話してみよう

・「悔い改める」とは、どういうことでしょう。

・「悔い改め」はルーテル教会の礼拝の中では、毎週、罪の告白「神さまごめんなさい」と言いますね。「悔い改め」は、私たちにとってなぜ大切なのでしょう。

・神さまと私たちをつなぐ道をまっすぐに整えて、イエス様のお生まれを待つには、どうしたらよいでしょう。