・イエス・キリストの復活の出来事が「死」のためにあるのではなく、今を生きる「生」のためにあることに励まされる。
・復活とは死後の世界に対する興味ではなく、たとえ苦しくても、なお神に信頼し生きるための希望。
・この世のあり方と復活の世のあり方は違う。この世の延長線上に復活の命があるのではない。
・サドカイ派は当時のエルサレムの神殿の権威や富と結びついてた一派だと言われている。
・ファリサイ派はモーセ五書以外の預言書なども大切にしていたがサドカイ派はモーセ五書のみを正典とした。また復活も霊も天使も否定し、人間の存在は死の際に全て滅びてしまうと考えた。
みなさんは死んだらどうなるか考えたことがありますか?それはどんな時でしたか?私はすごく嫌なことがあって、自分なんか、この世界から消えてしまえばいいと思った時と、大好きだったおばあちゃんが死んで教会でお葬式をしていたときに考えたことがあります。今から思えば、それはとってもつらい時でした。みなさんはどうですか?とっても元気な時や色々うまくいっていて充実しているときに「死んだらどうなるか?」考える人はもしかすると少ないかもしれません。
もしかするとイエス様は、サドカイ派の人の質問に答えるようにみえて実は、まわりにいる弱っている人、つらい時を過ごしている人たちに対して「復活」についてお話をされたのではないかと思います。それはイエス様がサドカイ派の人たちにお話をしたモーセの「柴」の箇所は、エジプトで苦しむイスラエルの人たちを助け出すために、神さまがモーセを選んだ箇所だからです。イエス様はここで、神さまはいつも人と共にいて、どんな苦しみの中でも人を導きいてくださる方であり、人が希望を持って生きることができるように豊かな祝福を与えてくださる方だということを説明しているのです。そして神さまによって生かされている私たちは、神さまによって復活の命にあずかることができるということを、イエス様はおっしゃっているのです。
「つらくても、弱っていても、あなたたちは生きていて、あなたたちは神によって生きている、勇気を出して生きなさい」と、イエス様は語ります。死んだあと自分はどうなるのか?死んだら誰が誰と結婚するのか?そんなことをあれこれと考えるのではなく、今、神によって生きているあなたの命を考えなさい、すべての人は、神によって生きているからである。イエス様は私たちにこうおっしゃっているのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□3番 「きよいあさあけて」
□改訂97番 「美しい朝も」
・牧師先生にユダヤ教のファリサイ派やサドカイ派の人たちの「復活」についての考え方を聞いてみよう!
・死んだあとどうなる?死んだ人って今どうしてると思う?
・生き続ける上で必要なものってなんだろう?