・王位継承の物語と王不在の物語が合わさって一つの物語を作っているが、いずれにしても再臨のイエスを待つ間の私たちの生き方が示される。
・たとえの中で登場する人物が誰を指しているか考える。
・あずかった「ムナ」は何をたとえているか考える。
・原文ではムナを増やした僕たちは「私が増やした」とは言わず、「あなたのムナが10ムナもうけました」「あなたの1ムナが5ムナ稼ぎました」と、主語は「ムナ」である。
・一般的には王が即位するために自分の領土以外(遠方)に行くことはないが、ローマ帝国支配下の属国の王は、即する前にローマに行き皇帝に認証をしてもらう必要があった。
・ムナは古代ギリシアの貨幣単位でローマ貨幣に換算すると100デナリ相当する金貨。
・当時の歴史家ヨセフスの「古代史」には、ヘロデ大王の死後、ユダヤ人たちは王位を認証してもらうとローマに出かけて行った二人の息子とは別に、自らの自治権を求めて自分達の使節を直接ローマに送った記録がある。
イエス様の「たとえ話」には、たくさんの人が登場しますね、今日の「ムナ」のたとえ話にも立派な家柄の人、十人の僕、国民、使者、そばに立っていた人々、たくさんいます。でも「たとえ」ですから、誰かが誰かをたとえて語られているお話です。ではいったい誰が誰を」たとえているのでしょうか?
まずこの「立派な家柄の人」はイエス様のことです、イエス様はエルサレムに近づいたときにこのたとえ話を人々に語られましたよね、「自分はエルサレムで十字架にかかって死ぬことになるけど、ちゃんと戻ってきますよ、その間、みなさん私を信じてしっかり生きてくださいね」と、きっとこんな思いでこのたとえ話を語られたんだと思います。ではムナを受け取った僕たちは誰でしょうか?もしかするとイエス様を信じるお弟子さんたちかもしれませんし、今教会に集まっている私たちかもしれません。
王様は10人の僕に「ムナ」を預けました、これはギリシアの金貨で、今でいうと何百万円もの価値のあるお金です。王様のいない間、ある人は10倍に、ある人は5倍に増やしました。布に包んでしまっておいて人もいます。王様は増やした僕をほめました、そして置いておいた人をしかりました。この「ムナ」とは何でしょうか?
それは「イエス様の言葉」だと思います。教会では「福音」、喜びの知らせとも言います。何百万円もの価値がって、その気になればより豊かな実りをもたらし、元気になる人が増えます。でも自分だけでこっそりしまっていたら、それはその人だけのものになってしまいます。
イエス様は、「自分は十字架につけられて殺され3日目に復活し天に昇ったけど、また必ず戻ってきますよ、弟子であるあなたがたは私の言を多くの人に告げ知らせなさい」と言っておられるのです。みなさんも聖書の言葉を聞いて元気になったり、励まされたり、喜んだり、嬉しくなったことがありますね、そんな言葉を自分だけのものにして布にしまっておくのではなく、自分の周りの色んな人に伝えるようにと、イエス様は勧めて下さっているのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□48番 「こどもをまねく」
□改訂5番 「こどもをまねく」
・みんなお父さんから100万円もらって「預かっといて」と言われたらどうする?もし増やすために好きに使って好いって言ったらどうやって増やす?
・聖書の言葉を聞いて元気になったり、励まされたり、喜んだり、嬉しくなったりしたことある?それはどんな時で、どんな言葉だった?
・聖書の言葉を誰かに伝えたことある?それって簡単?難しい?