2013年10月27日 宗教改革主日
ヨハネ2:13-22 列王記下22:8-20 ガラテヤ5:1-6

今週の聖句

「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
ヨハネによる福音書2:16

ねらい

・お金は悪いものではない。しかし、それによって人間の優劣をはかることは間違っていることを伝える。

説教作成のヒント

・父の家(神の家)がどのような場所で、商売の家がどのような場所かをイメージする。

例)父の家:みんなで恵みを分かち合うことのできる場所 商売の家:人よりもたくさん稼ぐことを競う場所

※ただし、現代の私たちが社会生活を営むためにお金は必要なもの、お金が「悪」ではない。

豆知識

・私たちの周りで「お金も必要よね」という言明を耳にすることがあります。換言すると「プラスアルファ(+α)でお金も必要」ということでしょう。さて、神さまのことをギリシャ語で「テオス」というのですが、この単語に「プラスアルファ(+α)」して、「アテオス」とすると、「(私は)神を知らない」という意味になります。「プラスアルファ」を求める心が、ときとして、大切なことと反対のものを見てしまう目につながってしまうのかもしれません。

説教

小学校(中学校)では、教えてくれない話しをしよう。お金(貨幣)の本質(なくてはならない意味、役割)とは何か、というお話です。

お金とは、交換を加速するため(はやめるため)に発明されました。お金(貨幣)は、・・みんながもう少し大人になって経済学の本を読むと、学者さんたちが書いているのですが・・、「それを別の何かと交換しない限り、何の意味も持たない」という性格を持っている、もののことです。お腹が空いてもお金を食べることはできません。喉が渇いてもお金を飲むことはできません。寒くなってもお金を着ることはできません。etc.

お金は、私たちの欲しいもの(食べもの、飲みもの、着るもの、etc.)と交換するために、そのために発明されたのです。というのも、ナニカを交換するに際して、お金は、たいへん効率の良い商品だからです。それを持ち続けていても食べものに変化したり、飲みものや着るものに変わったりしません。それをナニカと交換することで、ようやく私たちは必要なものを手にいれることができたりするわけです。交換を加速するための商品、それがお金です。

さて次に、「なぜ学校で勉強するのか」、ということを考えてみましょう。はっきり言う人が少ないので、この際だからはっきり言っておこうかな。それはね、「生き延びるため」です。もう少し付け加えるならば、「なるべく楽しく生き延びるため」です。ここでもうひとつ付け加えておかなければいけません。聖書にも書いてあるように、「人が独りでいるのはよくない@神さま」、人は独りでは生きていくことができません。だから、「生き延びるため」ということは、「私だけが」ではなく「私たちが生き延びるために」という意味です。

私たちは、「私たちが(できるならばなるべく楽しく)生き延びるために」勉強するのです。そして、「できるだけ多くの人たちを私たちという枠で考え、その人たちが楽しく(喜びをもって)生きていくためにどうしたらよいか」と考え、働く人たちを大人と呼ぶのです。だけど、最近の社会では、年収の高い低いで「生き延びるための」能力を(優劣を)測る傾向が強くなっているようです。ある大きな会社の社長は次のように言いました。「Grow or Die(成長か<生きるか>死か)・年収1億円か100万円か」と。ものを交換するために発明されたお金が、人の優劣をはかるものさしに変わってしまっているのです。「お金をたくさん稼ぐために勉強する(働く)」という大人が増えたが故に、そう考える子どもたちも増えているのでしょう。

イエスさまは言われました。「わたしの父の家を商売の家としてはならない」。ここで言われている「わたしの父の家」とはエルサレム神殿のことですが、しかし私たちは、ここを、私たちの住んでいる社会と解釈し直したいと思います。私たちの住んでいる社会を、年収1億円か100万円かで生きるか死ぬかが判断される場所にしてはいけない、と。

ところで、みなさんは、『スイスのロビンソン』という本を知っていますか。それはこんなお話です。ある一家が無人島に漂着します。彼らはそこでロビンソン・クルーソーのような暮らしをするという物語です。無人島ですから、年収が1億円か100万円かなんていうことは無意味です。そんなものどれだけ持っていても、生き延びることはできません。さて、その物語の冒頭近くに、一家が無人島に漂着した後、海岸でみんなで魚介類を集めてブイヤベース(スープ)を作るという場面があります。スープはできたのですが、お皿もスプーンも人数分はありませんから、みんなでわずかな食器を使い回して飲んでいました。すると、子どもの一人がおおぶりの貝殻をとりだして、ずるずるとスープを飲み始めます。そして、それを見た父親が子どもに問いかけます。「お前は貝殻を使うとスープが飲めることに気づいたのだね?」子どもは誇らしげに「そうです」と答えます。すると父親は厳しい顔をしてこう言ったのです。「では、なぜお前は貝殻を家族の人数分拾い集めようとせずに、自分の分だけを拾ってきたのだ。お前にはスープを飲む資格はない」。

この物語は、「できるだけ多くの人たちを私たちという枠で考え、その人たちが楽しく(喜びをもって)生きていくためにどうしたらよいか」を考え実行することがどのようなことであるかを、教えてくれます。そして、聖書の中で、イエスさまもまたそのことを、私たちに教えてくれているのです。私たちの生きていくこの場所が、商売の家にならず、神さまの国になるために。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□4番 「けさもわたしの」

□改訂115番 「この花のように」

やってみよう

☆教会でお金を儲けようとするとどうなる?

<用意する物>(厚紙で作ったお金・・・みんなで作ってもよい)

①教会にはいろんな人が(働いている)いるけどどんな人いる?「牧師さん」「お昼ごはんを作っているおばさん」「教会学校を手伝ってくれるお兄さんお姉さん」「玄関を掃いてくれたおばあちゃん」「門の所の木の枝を切っていたおじいちゃん」と子ども達に言ってもらう。

②朝から教会で働いている人にお小遣いをあげてこよう。それそれお金を手に働きに対して賃金を支払う。

③前もって教会にいる方に賃金をもらったら「こうするからもっとお金ちょうだい」とお金儲けの為の演技をしてもらい賃金を沢山貰うように頼んでおく

④お金を配り終わった子を集め、お金をもらった大人も呼ぶ。お金をもらった大人同士で貰った金額の事で喧嘩をしてもらう。

⑤いつも仲良く教会のお仕事している人達がお金を儲けたとたん喧嘩になったね。どうして?なんでいつもお金貰わないで働いているの?

⑥信徒の一人に神様の御用の為に働くことが嬉しいのだよという話をしていただく。

話してみよう

「商売の家としてはならない」とおっしゃるイエス様。では、どのような神殿(教会)であれば良いと思われたのでしょうか。

私達はどのような教会を作っていけばよいでしょうか。