TNG The Next Generation

2013年8月25日 聖霊降臨後第14主日

福音書 ルカ13:22-30
第一の日課 イザヤ66:18-23
第二の日課 ヘブライ12:18-29

今週の聖句

「狭い戸口から入るように努めなさい。」
ルカによる福音書13:24

ねらい

・狭い戸口から入るとは、どのようなことかを理解しましょう。

・反対に広い戸口から入るとは、どのような生き方かも考えましょう。

ポイント

◎私たちには、今、無限の『好機』がやって来ている。それは、「神の国」が近づいてきているからだ。イエスは言う。『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』(マルコ1:15)と。――が、その好機を、私たちは逃し続けている。このような実情を理解して、『好機』を強調したい。(『好機』は今にある。「悔い改め(方向転換)」は、今にある。「方向転換」は、『今ここ』への意。)

◎次に、イエスが「神の国到来」を強調するときの「神の国」とは、一体何を意味するだろうか!?「神の国」とは、「永遠の命」「人間の土台」「生命の源泉」「喜びの源」「エデンの楽園」を意味する。この「生命の源泉」に目覚め、「内面の戸口の扉」を開くとき、「至福の国」「エデンの楽園」に入る。(イエスの「神の国」は、創世記の「エデンの楽園」の内容を再び、現実の中にもたらす。)

◎その「内面の戸口の扉」を開くのは、常に、今でなければならない。この“今を見る”“今を味わう”。私たちは神さまと離れてはいない。全体とひとつに結ばれている。それを“今感じ”“今をくつろぐ”のだ。くつろいだ瞬間、「全体とひとつに結ばれている

・いた」。「喜びの国」「神の国」の中にいる。(ポイントはもっとリラックスして、喜びにあふれること。)

説教

宇宙はひとつ。神はひとつ。万物は、皆、有機的につながり合っている。が、私たちは、この真実を忘れている。人の数だけ、ばらばら。「孤独の中に」散らばっている。乾涸びたような雑木が、ばらばらに立ちすくんでいる。イエスはこの実情を、憂えている。この「孤立からの解放」が、緊急の課題。

この「孤立した状態」は、私たちが、マインド(思考)の中にはまり込んでいるゆえ、当然の結果である。マインドは「閉じられた牢獄」だ。あらゆる野心や執着を追い求め、「深刻さ」や「苦しみ」を、自らが作り出している。イエスの時代の人々も、今日の人々も、全く同じ轍(てつ)を踏んでいる。

(子供たちと共に、「苦しみの原因」について、一緒に考えてみたい。その原因は「深刻さ」。)

『好機』は今、先ず、私たちは「今よりもっと、ほがらかになってみよう」。好機を逃してはならない。私たちは非常に愚かで、自分が「惨めになる機会」は、決して見逃さない。人々は、『心配事を探そう』と躍起になっている。同じことが、「幸福について」もなされるべきである。――もっとも、その幸福は、「魂の至福」の意味で、「財産や、地位や、知識が豊かになる」という意味では、当然ない。

だから、イエスは言う。「求めよ、そうすれば、与えられる。探しなさ。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)と。その意味は、「『神の国』『喜びの国』は、君たちの内面にあって、ただ発見されることをまっている」と言う。――それは今ここで、‥‥待ち続けている。「誰でも、求めるものは受け、探す者は見つけ、門を叩く者は開かれる」(同8節)と。

その『門』は、私たちの孤独や、深刻さや、苦しみから解放してくれる「喜びの国」「新しい生命」の入口の『門』である。神さまとの結びつきに戻る『門』。放蕩息子が、父親の場所に戻る門である。その場所、門が、『今ここ』なのだ。又、こうも言えよう。「ほがらかである」とき、神は遠くの存在ではなくなる。「ほがらかであるとき」、『今ここでくつろいでいる』。『今ここ』にいる。『神の中にいる』。

すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い入口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」。「救われる者」とは、『神の中にくつろいでいる人』を指す。この『幸福』と『不幸』との境界線は、‥‥実に「狭き門」「狭き入口」にある。「神との結びつき」を自覚するか、自覚しないかによって、『幸・不幸』が分かれる。――そのボーダーラインは、無限に狭い。それは単に、自覚するか、自覚しないかの二者選択だから、――無限に「狭い入口」なのだ。「神との結びつきの自覚」が、「神の国」の入口。

――現実的には、実に厳しい境界線である。神に目覚めないと、人間の生活が駄目になってしまう。そのような境界線である。「結びつきを自覚する」とき初めて、「物が見えている」とか、何か「聞こえている」とか、「物を感じている」ということは、個人の単独で起こっているのではなく、『神とのつながり』によって起こっている、‥‥ということを領解することができる。神によって生かされていると。

“今を見る”とき、先ず、自分自身の中に調和している。自分自身に調和しているとき初めて、周りのものと調和している。太陽と月と木々と小鳥たちと調和できる。ここには、二つの融合(調和)がある。一つ目は、自分自身に溶け込むこと、最初の融合だ。そして二つ目は、総なるものに溶け込むこと。

自覚的になりさえすれば、私たちは既に、「神の国」に入っていることに気づく。意識的、自覚的に“今を見れば”、人生は天国になる。――人生は詩になる。――音楽に、ハーモニーに、ひとつになる。

「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、また南から来たから来て、神の国で宴会の席につく。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」。私たちは“今を見て”天国に入らない限り、まったく無益で、空虚な人生を生きる。“今を見る”そのとき、エゴは消えている。トラブルメーカーはもういない。エゴが消えた瞬間、私たちは『神の国』にいる。普段私たちは、一つではなく、何千もの要素になっている。無数の群衆、雑音になっている。しかし、毎瞬間、“今を見れば”、調和、結晶化が生れる。ただの自覚だけで十二分だ。ハレルヤ!!

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□36番 「しゅイエスのみちを」

□120番(改訂版) 「主イェスの道を」

やってみよう

☆段ボールで狭い戸口と広い戸口を作ってみよう!

・1つは、適当な大きさの段ボール(広げるとハイハイで1人が入れる位の大きさ)を広げて、ガムテープで固定する。→狭い戸口

・1つは、大きめの段ボールを広げ、ガムテープで数枚つなげ、子どもが立って通れる広い戸口を作ってみる

・できあがったら、広い戸口―狭い戸口の順にくぐってみる。広い戸口は2,3人で通ると良い。

話してみよう

その1

・広い戸口は、簡単に入ることができましたか。どんな感じでしたか?(みんなで入ることができる、姿勢を変えずに入ることができる、楽に入れるetc)

・反対に狭い戸口はどうでしょう?どうやったら、入ることができたかな

・(姿勢を低くする、1人で入る、何も持たないで入るetc)

・イエス様は、「狭い戸口から入るよう努めなさい。」と言われます。どんな意味があるかみんなで話してみよう。(そのままでは入れない、自分を変える→悔いあらため)

その2

・順番抜かしされたことある(したことある)?それはどんな時?そしてどう思った?

・天国に入る順番があるとしたら、それはどうやって決まるんだろう?

・狭い戸口から入る生き方ってどんな生き方だと思う?

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