・欲望には限りがなく、それが完全に満たされることはありません。しかも、貪欲さは自分自身だけに集中させ、神様や他者に対する意識さえも失わせてしまう危険があります。
◎今週の聖書のポイントは、『生命と持物』に対する明確な理解を、私たちに考えさせてくれる。「自分の持ち物は何一つない」と考えることは、大変な勇気を必要としている。それこそ、大変な勇気である。しかしながら、その勇気がある者は、「大空を羽ばたく翼を手に入れる」ことができる。私たちが、全ては「神のもの」と気づいたとき、真の自由を得て、大空を羽ばたく。感謝の念が、大空へ。
◎――全ては最初から、「神のもの」であった。肉体は本来、美しい。肉体は、「神の神殿」であるからだ。――しかし、それが美しいのは、「自分が肉体ではない」ことを、知ったときだけである。この肉体を、「自分自身」と同一視すると、それは醜くなる。「神の神殿」ではなく、自らが「監獄」になる。この肉体は、「神さまが宿られるご神体(宮)、神殿なのだ」と悟るとき、初めて神の懐に還る。
◎「私は肉体ではなく、ただの“来客”であり、肉体は“借物”と知れば、そのとき肉体は「神の神殿」「“神のいのち”が、宿るご神体」となる。神殿に“美”が、“神聖さ”が、“落ち着き”がある。99.9%の人々が、自分は肉体だと信じている。自分の持ち物だと。「自分の持ち物は何一つない。全ては神さまの所有物。ただ地上いる間、神さまから借用しているに過ぎない」と知れば、全ての重荷は消える。「真理は、私たちに自由を得させる」(ヨハネ8:32)とイエスは、言い続けている。(子どもたちと共に、この肉体ばかりか、回り中のもの全てが「神さまの贈り物」体験をしてみよう。)