TNG The Next Generation

2013年8月11日 聖霊降臨後第12主日

福音書 ルカ12:13-21
第一の日課 コヘレト2:18-26
第二の日課 コロサイ3:5-17

今週の聖句

「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。」
ルカによる福音書12:15

ねらい

・欲望には限りがなく、それが完全に満たされることはありません。しかも、貪欲さは自分自身だけに集中させ、神様や他者に対する意識さえも失わせてしまう危険があります。

ポイント

◎今週の聖書のポイントは、『生命と持物』に対する明確な理解を、私たちに考えさせてくれる。「自分の持ち物は何一つない」と考えることは、大変な勇気を必要としている。それこそ、大変な勇気である。しかしながら、その勇気がある者は、「大空を羽ばたく翼を手に入れる」ことができる。私たちが、全ては「神のもの」と気づいたとき、真の自由を得て、大空を羽ばたく。感謝の念が、大空へ。

◎――全ては最初から、「神のもの」であった。肉体は本来、美しい。肉体は、「神の神殿」であるからだ。――しかし、それが美しいのは、「自分が肉体ではない」ことを、知ったときだけである。この肉体を、「自分自身」と同一視すると、それは醜くなる。「神の神殿」ではなく、自らが「監獄」になる。この肉体は、「神さまが宿られるご神体(宮)、神殿なのだ」と悟るとき、初めて神の懐に還る。

◎「私は肉体ではなく、ただの“来客”であり、肉体は“借物”と知れば、そのとき肉体は「神の神殿」「“神のいのち”が、宿るご神体」となる。神殿に“美”が、“神聖さ”が、“落ち着き”がある。99.9%の人々が、自分は肉体だと信じている。自分の持ち物だと。「自分の持ち物は何一つない。全ては神さまの所有物。ただ地上いる間、神さまから借用しているに過ぎない」と知れば、全ての重荷は消える。「真理は、私たちに自由を得させる」(ヨハネ8:32)とイエスは、言い続けている。(子どもたちと共に、この肉体ばかりか、回り中のもの全てが「神さまの贈り物」体験をしてみよう。)

説教

群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように、兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。『だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」(ルカ12:13,14)イエスは「遺産相続」立会人にされた。イエスは、当事者同士の問題に介入することを、故意に拒絶した。――それは、混乱に巻き込まれる、というより、群衆の一人が、冷静になるためである。混乱の背後にあるものは、一体何なのか!?人の“欲望”にある。――貪欲さは、真実が見えなくなっている状態。――執着は、「自分の当然の所有物」という思い込みから生じる。「自分の持物は何一つない」とおもうことは、大変な勇気を必要とてしている。冷静になり、謙虚になることからの出発が‥‥第一。

(子供たちと共に、「神さまからの贈り物」について、話し合ってみよう。)

そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」(ルカ12:15)人は先ず「神のもの」。先ず「自分の肉体も精神」も、神のものである。そして、「自分の持物」ですら、「神のもの」である。イエスは、単純に「神の決定」を伝えているだけである。「神の決定」に思い当たるように、冷静になるように、気づくように、促している。ここに厳かな「神の決定」がある。「全てのものは神の所有物である」という、真実に。次に、イエスは持物よりも、『いのちの尊さ』に眼を転じている。今ここに来ている『いのちの尊さ』への感謝へと‥‥この命の重さへと‥‥目覚めさせる。

(子供たちと共に、神さまによって与えられた『このいのち』を味わい、噛み締めてみよう)

しかし神は、『愚か者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(同12:20,21)「自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである」(ルカ17:33)。上の引用のイエスの言葉は、本来「自分の命」は存在しない。「自分の命」だと執着すれば、それにしがみついて、その結果苦しむことになる。しかしながら、「この命は自分のものではない」と悟る者は、執着や苦しみから解放されて、「大空を羽ばたくような自由を得ることができる」と言っている。『生命と持物』は、全て神さまのものである。そのことの認知は、エゴからの解放であり、感謝の根源だ。

(子供たちと共に、この「いのちも持物もみな、神さまからの贈り物」であることを、感じてみよう)

真理はただ、私たちに自由を得させる。「貪欲」とは、「神とは何の関わりのない自己追求」のことである。それは人間の妄想である。妄想が消えて、『この自分は何者か』が分かれば、神のみ前に豊かになっている。今や残された問題は、欲望、執着、貪欲という『妄想からの解放』である。アーメン。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□51番 「わたしはしゅのこどもです」

□123番(改訂版) 「わたしは主のこどもです」

話してみよう

・椎名林檎というミュージシャンの「ありあまる富」という歌を聴いてみよう。

・お金と命とどちらが大切?

・イエス様は生きるために何が必要(何に注意を払うよう)と言っている?

やってみよう

☆「自分の物、神様の物?」

1.大切にしているものを持ってきてもらう

2.それは、いつ、どこで、誰が・・・等、その物に関する歴史を発表する

3.「自分自身は誰の物だろう?」と聞く(お母さんのもの、家族のもの・・・等の答えが出ると思う)全てのものは神様によって作られたこと、神様からの贈り物であることを伝える

4.こども讃美歌 かみさまがつくられた

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