2013年7月28日 聖霊降臨後第10主日
ルカ10:38-42 創世記18:1-14 コロサイ1:21-29

今週の聖句

「しかし、必要なことはただ一つだけである」
ルカによる福音書10:42

ねらい

イエス様は、「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ」と言われました。マリアは、何もせずに、イエス様の足もとに座って、その話に聞き入っていました。これだけが、多くのことに思い悩んでいる私たちに、必要なことなのです。なぜなら、その時、私たちは、あるがままの自分になることができるからです。

説教作成のヒント

現代人の自分喪失のプロセスを、諸富祥彦氏は次のように説明しています。人の目や世間体、学歴や収入を気にしているうちに、自分は、自分と同じくらいの能力を持った他の人と、交換可能な存在でしかないように、思えてくる。たまに、本当に言いたいことを言って、本当の自分を出したと思ったら、無視されたり嫌われたりしてしまう。だから人は、知らず知らずのうちに、他の人や世間から受け入れられやすい仮面を着けて、演技をするようになる。そして、そんなことをくり返しているうちに、本当の自分が分からなくなってしまう。けれどもそれでは、生きていてもつまらないので、輝く自分になろうと、仕事を頑張ったり、色々と努力したりする。けれども、どんなに努力しても、上には上がいるから、休むことができない。そして、疲れ果ててしまう。

私たちは一人になって、「私はこんなふうでいいのか」、「こんなふうに生きていって、死ぬときに後悔しない生き方ができるのか」と、ふと立ち止まって、自分の心の声に、耳を傾けることが必要なのだ、と思います。

豆知識

C.R.ロジャーズによれば、自分を取り戻し、自分らしく生きるためには、自分自身を受け入れて、自分自身にやさしく耳を傾けることが大切です。そして、ロジャーズ心理学の特徴は、人が自分自身を受け入れて、自分の心の声に耳を傾けて、真に自分自身になっていくことは、他の誰かから無条件に受け入れてもらえるような、共感的関係においてはじめて可能になる、と考えるところにあります。

教会とは、神さまに無条件に受け入れられていることを信じる信仰共同体です。神の愛を信じるとき、私たちは自分自身になれるのだ、と思います。

説教

今日の福音書には、マルタとマリアの物語が記されています。イエス様は、ある村にお入りになりました。するとマルタが、イエス様を家に迎え入れました。マルタにはマリアという姉妹がいました。マリアは、イエス様の足もとに座って、イエス様の話に聞き入っていました。それに対してマルタは、いろいろのもてなしのために、働いていました。

怒ったマルタは、イエス様のそばに近寄って、こう言いました。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」。

イエス様は答えて、こう言われました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」。

私たちは、一人で思い悩んでいるとき、心の中でいろいろな声が聞こえています。例えば、マルタの場合には、「イエス様をもてなすために、もっとこうすべきだ」、「もっと働け」というような声が聞こえていたわけです。だから、イエス様はマルタにこう言われたのです。「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」と。

そしてイエス様は、「必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ」と言われました。マリアは、何もせずに、イエス様の足もとに座って、その話に聞き入っていました。これだけが、今のマルタに必要なことだったのです。なぜなら、イエス様のそばにいるだけで、マルタもマリアも、何の気がねもなく、自分自身でいることができるからです。

それでは、イエス様の足もとに座って、その話に聞き入っていると、いったい何が起るのでしょうか。イエス様のそばにいるうちに、それまで自分の心を支配していた声から、いつの間にか解放されていることに気づきます。

すると、それに続いて、心の奥から声が聞こえてきます。「本当は、私はこういうことを感じていたんだ」、「本当は、私はこうすべきだったんだ」という声が、心の奥から聞こえるようになるのです。私たちは、人の目を気にしなくていいのです。

だから私たちは、人の目を気にして、演技しなくていいのです。ロジャーズは、次のように言っています。

「私が自分のあるがままを受け入れることができた時、私は変わっていくのです。私たちは、自分の現実の、そのあるがままの姿を十分に受け入れることができるまでは、決して変わることはできません。今の自分から変わることはないのです」。

私たちがイエス様のそばに座って、その話に聞き入っているとき、より自分らしい、あるがままの自分になることができるのです。これだけが、多くのことに思い悩んでいる私たちに、必要なことなのです。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□51番 「わたしはしゅのこどもです」

□123番(改訂版) 「わたしは主のこどもです」

やってみよう

☆受け入れられると…

二人ずつ組んで、5分間ずつ、たとえば「頭をなでてほしい」、「膝枕をしたい」などと、おねだりしましょう。自分のあるがままの気持ちを受け入れてもらうことを、実際に経験してみましょう。

☆少年サムエル

・神さまのみことばを聞いた子どものサムエルのお話をしましょう。

※サムエル記3:2-10、アーチブック「少年サムエル」

・お話を聞いた後、サムエルはどんな子どもだったか、話してみましょう。

・教会のどこかにサムエルの絵があれば、みんなで「サムエル探し」しましょう。絵がない場合は、古いカードやネットでサムエルのイラストをコピーして、どこかにひそかに貼ったり、隠したりして「サムエル探し」をしましょう。

・最後にしばらくの間、みんなで手をつなぎ目を閉じて、心を神さまに向けましょう。リーダーは、しばらくの沈黙の後、静かに今日のみことばをゆっくり読みます。再び、沈黙の後、お祈りをしましょう。

話してみよう

その①

・あなたは、マルタとマリアのどちらに共感しますか。

・イエス様のそばにいると信じて、自分の心の奥の声に耳を傾けてみましょう。

・あるがままの自分と向き合ってみましょう。

その②

今日の聖書でイエス様は、私たちはどんなことよりも神様のお話を聞くこと、お祈りすることが大切だと言っています。自分にとって、大切なものはなんでしょうか?考えてみましょう。家族、友達、勉強、ゲーム、テレビ、お金、お祈りの七つを、自分が大切だと思う順番に並べ替えてください。なぜそのように並べたか、お互いに話してみましょう。