律法学者はイエス様に、「わたしの隣人とはだれですか」と問いました。この「隣人」は、律法学者が愛すべき対象としての隣人です。しかしイエス様は律法学者に、「良きサマリア人」のたとえを話した後、「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と、お尋ねになりました。「その人を助けた人です」と、律法学者は答えました。この「隣人」は、愛される対象ではなく、愛する主体としての隣人です。
オリゲネスは、「サマリア人」をキリストと解釈して、次のように述べています。「この『サマリア人』はわれわれの罪を担い、われわれのために苦しみ、半死の人を運び、宿屋、すなわち教会に運び込む。この教会はすべての人を受け入れ、その援助を誰に対しても拒むことはなかった」。
V.E.フランクルは、次のように述べています。「人は何ものかのため、誰かのため、すなわち大義のため、友人のため、神のために、自分を失う地点に達してはじめて、真の自分を発見するのである」。
このように自分を超え出て、神に、他者に向かっていくところに、フランクルは人間の本質を見出すのです。「人間の本質には、あるものに向けられているということが属している。……人間は自分自身を観察し、自分自身を鏡に写すためだけに存在しているのではない。自分を引き渡し、自分を放棄し、認識しつつかつ愛しつつ自己を捧げるために、人間は存在するのである」。
イエス様は、「良いサマリア人」のたとえをお話になりました。そこには、一人のユダヤ人の旅人が登場します。彼は、エルサレムからエリコに向かう途中、三つの出会いを経験しました。一番目は「追いはぎ」、二番目は「祭司・レビ人」、三番目は「サマリア人」です。
旅人が最初に出会ったのは、追いはぎでした。追いはぎは旅人を襲い、服をはぎ取り、殴りつけて立ち去りました。旅人は、道端に倒れて、苦しんでいました。
次に、そこへエルサレム神殿で神さまに仕えている祭司と、祭司を手伝うレビ人がやって来ました。祭司は、神殿では「神を愛し、人を愛せよ」と教えていたはずです。しかし、道端に倒れている旅人を見ると、二人とも道の向こう側を通って行ったのです。この祭司は、エリコの町でその日、お話をするために急いでいたのかもしれません。しかし祭司は、その日の集まりで、愛について話す予定だったのです。
最後に、あるサマリア人がやって来ました。サマリア人は、ユダヤ人から差別されていたので、彼がユダヤ人を助けることは、まずあり得ないことでした。ところがこのサマリア人は、その旅人を憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱しました。そして次の日、銀貨二枚を宿屋の主人に渡して、言いました。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います」。
今日の福音書には、「隣人」という言葉が、はじめと終わりに出てきます。はじめに、律法学者はイエス様に、「わたしの隣人とはだれですか」と質問しました。この「隣人」は、律法学者が愛さなければならない相手のことです。
しかしイエス様は律法学者に、「良いサマリア人」のたとえを話した後、「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と、お尋ねになりました。「その人を助けた人です」と、律法学者は答えました。この「隣人」は、追いはぎに襲われた人を愛した人のことです。
律法学者は、自分が隣人を愛することをまず考えているのです。それに対してイエス様は、隣人とは自分を愛してくれる人だ、と教えてくださっているのです。
オリゲネスという学者は、次のように言っています。この「良いサマリア人」は、道の向こう側を通って行く私たちに代わって、追いはぎに襲われた人を運び、宿屋に連れて行きました。「良いサマリア人」はイエス様です。そして、宿屋は教会です。教会は、イエス様が連れてきた人を受け入れ、助ける場所なのです。
私たちの隣人となってくださったイエス様は、こう言われています。「行って、あなたも同じようにしなさい」。イエス様が私たちを愛し、私たちを教会に運び込んでくださったのです。だから私たちも、イエス様にならって、神さまのために、他の人を教会へと招くのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□61番 「いつくしみふかき」
□130番(改訂版) 「いつくしみ深い」
その①
だれかが、「友だちにからかわれていやだった」と言ったとき、なんて言ったらいいでしょうか。
①「何か嫌われることを、きみもしなかったかい」
②「へいきさ、そんなことどうってことない」
③「そんなことでいじけていたら、生きていけないよ」
④「そうか、からかわれていやだったんだ」
⑤「くやしかったんだね」
・今日の聖書に出てきた登場人物を子どもたちに聞く。(レビ人、祭司、サマリア人他)
・どんな立場の人でどんな仕事をしていたでしょうか?レビ人→人々から尊敬され、律法を守る正しい人。ユダヤ人と仲良し。祭司→神さまに仕える仕事をしていた。サマリア人→ユダヤ人と昔から仲良くなかった。
・今日の聖書を読んで、即席劇をしてみよう。
※時間があれば、いろんな役を交代して体験してみましょう。
・劇をした後、自分が演じた役の人物がどんな気持ちだったかを紙に書いて、発表しましょう。
その①
・追いはぎに襲われた人を見たら、あなたならどうしますか。
・通り過ぎた祭司やレビ人の気持ちを考えてみましょう。
・良いサマリア人はだれですか。
その②
誰かを助けるということは、そんなに簡単なことではないとおもうかもしれませんが、小さなことから考えてみると、私たちに出来ることは結構たくさんあります。自分が今までやってきた、誰かを助けたというエピソードを話してください。逆に、誰かに助けてもらったというエピソードはありますか?もし、自分が道路で怪我をしている人を見つけたら、あなたは祭司やレビ人のように振る舞いますか?それともサマリア人のように振る舞いますか?