・神さまを愛する者を神さまは赦すということを、イエスさまと罪深い女との関係から確認する。
・なぜイエスさまは「罪深い」と言われている女の人を赦し、しかも「安心して行きなさい」と励ましているのか、その理由について考える。それはこの女の人がイエスさまを心から愛しているからである。
・ここに登場するイエスさま、ファリサイ派の人、罪深い女、三人を比較してみる。それぞれが大事にしている点は何か、そして神さまが認め、受け入れてくださる点は何かについて。結局は神さまへの愛があるか、ないか、それを神さまは見ておられる。
・「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分る」と言われたイエスさまは最後に「あなたの信仰があなたを救った」と女の人に宣言する。ここで「信仰」を他の言葉に置きかえるなら、それは神への「愛」であろう。
・当時の中近東では客が入っている家に他人が入っても異例なことではなく、普通のことである。
・福音書にたびたび登場してくるファリサイの人は、律法に厳格な姿勢とっていた人で、自分たちの生活はもちろん当時のイスラエルの人々を厳しく指導していた立場であった。
・ここに出て来る女の人がどんな罪を犯したのかは記されていないが、「罪深い女」と決めつけられていることから、おそらくその町の娼婦であろうと思われる。彼女のイエスさまに対する行為、足に接吻し、香油をぬるという行動は相手への尊敬と感謝のしるしである。それと同時に涙を流していたことから、彼女の自分の罪に対する痛悔そしてイエスへの溢れるばかりの愛が表わされている。
みなさんは過ちを犯したことがありますか?自分は一回も間違ったことをしたことがない、誰かに悪いこと、誰かを失望させるようなことはしたことがないと言える人はおそらくいないでしょう。そう言える人がいるなら、それはまだ本当の自分について知らないだけかもしれません。
人が色んな形で間違いと過ちを犯してしまう以上、誰かに赦される必要があります。私たち一人ひとりもきっと今までかなりの回数、誰かに赦されてここまで来ているはずです。
自分が赦される、赦された理由について考えたことがありますか?自分にとって身近な、大切な人を例にして考えて見ましょう。自分のお父さんやお母さんから自分が赦される理由は何ですか?自分の間違いを認めたから、同じ過ちをしないと約束したから、自分の行動を変えたから…色んな理由が挙げられるかもしれませんが、おそらく一番大きな理由はどんなに間違ってもお父さんやお母さんあるいはその他の大切な人からあなたは大切なひとりであり、愛されているひとりであるからです。そうです。私たちが赦されることは私たちが愛されていることです。自分が愛されているということは、自分の行動が正しかったのかそうでないかより重要な理由です。もし愛されていなかったら、私たちは何か間違いをしてしまったことで、もう赦されないかも知れません。
「罪深い女」もそうでした。この女の人が周りの人からはどんなに無視され、どんなに悪く言われていたにしろ、イエスさまにとっては愛する大切なひとりでした。しかもこの女の人もイエスさまを心から愛し、自分の罪深さを後悔していることが彼女の行動から分ります。当時のイスラエル人からすると、足に接吻するとか、香油を塗るとかは、愛し尊敬する人への尊敬と感謝の表現だったのです。しかもこの女の人は泣きながらそうしていたのです。切実な気持ちの表れでしょう。
それは、彼女への愛がないファリサイ派の人にとっては分からないものであったみたいです。ファリサイ派の人はむしろ今まで彼女のやってきたことや正しさだけが基準になって、心の中でこう思っていました。「この人(イエスさま)が本当に預言者ならこの女が誰で、どんなに罪深いのか分かるはずなのに…」
しかしイエスさまは違います。もちろん女の人がそれまでやってきたことをすべてを知っておられるイエスさまはご存知です。しかしイエスさまにとっては彼女の過去より、彼女が今心から自分の罪を後悔していること、しかもご自分への心からの愛、それがもっと大事だったのです。だからイエスは彼女に言われます。「あなたの罪は赦された」。「わたしに示してくれた愛の大きさでそれが分かる」。「安心して行きなさい」。
この女の人に対するイエスさまの気持ちと言葉で、私たちに向けられる神さまの愛が表れています。私たちがどんなに足りなくても、過ちが多くても、神さまを愛する私たちの心を神さまは知っていてくださって、私たちを赦してくださるのです。それが、神さまの独り子、イエスさまをこの世に送られた理由でもあるのです。私たちを赦すために。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□53番 「しゅにしたがいゆくは」
□119番(改訂版) 「主に従うことは」
・2人ずつでてきてもらい、違うところをあげてもらう。(できるだけ、タイプの違う子どおし)
・じゃぁ、逆に似ているところはどんなところかな?
・写真などで、違う国のこどもや老人、病気の人などを紹介して自分たちと違うところを探してみても良いですね。
・みんな一人一人ちがうけど、みんな神さまの愛するこどもなんだよ。うれしいね。
<用意するもの>
画用紙、絵の具
①画用紙を1度半分に折って開き、ハートを描く。
②ハートの外側に、うれしい気持ちを言葉で書く。(ウキウキ、ワクワク、ありがとうなど)
②片側のハートの半分に、好きな色の絵の具を何色か直接、押し出すようにつける。
③半分に折って開くとできあがり!神さまの大きな愛が、世界中のみんなに伝わるように、お祈りしましょう。
・今日の聖書に出てくるシモンさんと罪深い女の人のちがうところはどんなところかを話してみよう。(シモン・・・正しい人、まじめな人、毎週礼拝に行ってた人など女の人・・・悪いことばかりしてきた人)
・では、二人の同じところは何だと思いますか?(二人とも神さまから愛されている)
・イエス様に罪を赦された女の人は、どんな気持ちだったでしょう?