・ひとりのやもめの悲しみに寄り添い、その息子の命を取り戻したイエスさまの姿は、人々が熱望した救い主そのもの、復活の主である。
・ここに登場するやもめは、やもめであるゆえにすでに夫は失っていて、さらに一人息子の死によって悲しみ泣いていた人である。ここでイエスさまは誰かから頼まれたからではなく、やもめの悲しみを御自ら憐れに思い、寄り添われた。
・やもめの一人息子は死にかかっていた状態ではなく、すでに死んだ状態である。ここで死に打ち勝つ復活の主としての力がすでに現れている。
・後のイエスさまのご自分の復活とも関連して考える。
・この物語でイエスさまの奇跡を目撃した人々の反応、「大預言者が我々の間に現れた」(16節)は旧約の預言者エリヤとその弟子エリシャが死者を生き返らせたことから由来する(王上17:7~、王下4:32~)。こうしてイエスさまは旧約時代から言い伝えられ、待望されてきた約束を具体的に実現する。
人の力では乗り越えることができない、一番大きな悲しみは死です。どのような人であれ、自分にとって大切な人の死をいつかは経験するしかなく、また自分自身もいつか死ぬしかない、それが私たちです。
今日、この物語の中に登場するやもめはすでに夫を失ったまま生きてきた女性で、彼女に残されたおそらく唯一の家族、一人息子さえもすでに死んで棺の中に入れられて運ばれているところでした。その棺が向かう場所は墓であり、大切な母親と永遠に別れる場面でありました。
そのところをイエスさまが通って行かれました。死んだ息子の母親であるやもめはもちろんそれに付き添っていた人々も大きな悲しみの中にあったことでしょう。イエスさまは死によって一人息子を失ったやもめの悲しみ、またそれを見守る人々の悲しみをただ見過ごすことでは終わらせません。
先週、百人隊長の僕をひと言でいやしたように、命の力に溢れる言葉をもって、やもめに「もう泣かなくてもよい」と慰め、死んだ息子に対して「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と命じられたのです。人に命を与えた神さまの独り子として、命の力をもって死んだ息子を生き返らせ、やもめにお返しになりました。
イエスさまこそすべての人の命を憐れんでくださる方です。そして憐れに思うことで終わるのではなくその命を取り戻してくださる方です。だから私たちはイエスさまを救い主としてあがめ、イエスさまにすべての希望を託します。私たち一人ひとりにとって大切な人の命、また自分の命が死ぬことによって悲しみに終わるのではなく、命を与えてくださった神さまの力によって新たに生きることを望むのです。すべての人の命の始まりと終わり、そのすべては神さまのみ手の中にあります。その真実がイエスさまをとおして示されています。そして後にイエスさまはご自分の死と復活をもって私たちにはっきり教えてくださるのです。神さまからの命は死で終わることがないことを。また一人ひとりの命にイエスさまが共にいてくださることを。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□119番 「やさしいめが」
□114番(改訂版) 「やさしい目が」
<用意するもの>
直径20センチくらいの丸い画用紙(1人2枚)、わりばし、セロテープ、のり、マジック
①1枚に泣いている顔を描く。もう1枚には、笑った顔を描く。
②片側に笑った顔、片側に泣いた顔がくるように、1枚の裏側にわりばしをセロテープで貼り付け、もう1枚の裏側と合わせて、のりで貼りあわせる。
※画用紙のかわりに、発泡スチロールを使うと立体的になるよ。
イエス様は、悲しいときも「泣かなくていいよ。大丈夫だよ。」って言ってくださいます。イエス様によって、私たちはニコニコ顔に変えられるのです。
・たった1人の息子をなくした母親(やもめ)は、どんな気持ちだったでしょう?
・イエス様に、「もう泣かなくてよい」と言われた母親の気持ちを考えてみましょう。
・イエス様と出会う前の母親とイエス様と出会った後の母親の人生は、どんな風に変わったか話してみよう。