2013年4月28日 復活後第4主日
ヨハネ13:31-35 黙示録21:1-5 使徒言行録13:44-52

今週の聖句

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
ヨハネによる福音書13:34

ねらい

「神が愛であること、主イエスの愛の中をこそ生き・生かされることを伝える」。

説教

ヨハネによる福音書の特徴の一つは、神の栄光、キリストの栄光を力強く語っていること。人の目には、惨めに映り、負の条件と思えるようなことも、神の栄光を表わすためということで一貫している。

愛弟子の中から、自分を裏切る者が出るという、師としては最も悲しくも恥ずかしい事態である。そしていよいよ今から耐え難い恥と苦痛を受け、十字架の道を歩むとき。それを目撃する者たちが、イエスを見て失望し、躓き、直弟子たちも皆、彼から逃げ去る事態がすでに明らかなとき。だから、目に見える姿は、栄光が潰えるその時です。そのようなとき、主イエスは「今や人の子は栄光を受けた」と完了形で語られる。「神も人の子によって栄光をお受けになった」と。

人間的には惨めな事態の直中で、主イエスが神に栄光を、神がイエスに栄光を、栄光と栄光とが輝き合い、反射し合っている、そのような光景が語られている。

ヨハネ伝は、このようなイエスを私たちに伝えている。その輝きは人の目には見えない。人の目に見えるのは、栄光の姿ではなく卑賤の姿。でも卑賤の姿の中にあるキリストの魂の輝き、愛の勝利の輝き、その輝きをヨハネは私たちに伝えているのだ。

さて、十字架につかれる前、ユダを除いて弟子たちがイエスのもとにいるとき、イエスは新しい掟を弟子たちに与えると言われる(⇒34節)。

「新しい掟」という言葉に、深い意味が込められている。掟の根本は愛にあるということは、既に語られていた。掟の根本は「義務」と考えていた当時の人々にとって、それは確かに革命的な新しさであった。けれど本当の新しさ、、、、は、主がここで「わたしがあなた方を愛したように」と言われていることにある。キリストの愛が、すべてを新しくしたのだ。キリストの愛が、一切に先行する。根本なのだ。ヨハネは手紙の中で言っている(⇒Ⅰヨハネ4章9)

掟に対しては人は服従しかない。人々はそのことを良く知っていた。掟はそれに従うことを求めるだけで、従わなければ掟違反として裁く。愛もそうなのだろうか。「わたしがあなた方を愛したように」ということが、キリストの愛が新しい掟だというのなら、それも、私たちには選択の余地がない、ただ従うしかないことなのだろうか。そうなのだ。愛には従うしかないのだ。「愛せよ」という言葉にも従うしかないのだ。、、、、、けれど、このように命じるお方が誰であるか、ということにこそ、私たちは注目し、集注しなければならない!そのすべてを包んでいて下さるお方が、すべてを包んで、絶えず方向を示していて下さる。愛には未来があることを示していて下さる。「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」。必ず、この掟が、完全に成就する時が来る。キリストにおいては、十字架の愛によって既に成就していて、キリストは既に、愛の勝利の栄光の中に輝いておられること、そこに私たちは心を預けて行くのだ。

ささやかな愛、小さな愛なら、私たちの普段の生活の中に沢山あるだろう。朝、「おはよう」と挨拶をする。笑顔と笑顔で心が通う。心が通うところには愛がある。心にかかる人のことを想い起こして祈る。それも愛なのだ。「元気ですか」と声をかける、それも愛。愛は沢山あるのだ。自分で思っている以上に、ささやかな愛で互いを支え合っている。愛の掟、愛の定めの中に生かされているからである。キリストが、その掟として、その定めとして、人の集いの真ん中に、人と人との只中に生きていて下さるからである。

だから、葛藤を抱え込むときも、いつかそれが氷解することを、私たちは信じることが赦されている。それに信じて、その葛藤を委ねることを赦されている。キリストがすべてを包み込んで下さるからだ。ヨハネ黙示録では、その日その時のことが語られている。すべてが氷解し、神の中で一つとされたときのことが。

見よ神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。(黙示録21:3-4)。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□51番(1,2) 「わたしはしゅのこどもです」

□100番(改訂版) 「世界のこどもは」

やってみよう

☆文字迷路

キーワード 互いに愛し合いなさい

たてとよこは進めます。斜めには進めません。

ゴールを目指してください。

話してみよう

・イエス様が愛してくださったようにお互いに愛しあうにはどうしたら良いでしょう。