2013年2月24日 四旬節第2主日
ルカ18:31-43 フィリピ3:17-4:1 エレミヤ26:7-19

今週の聖句

「彼は、『ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください』と叫んだ。」
ルカによる福音書18:38

ねらい

・イエスさまは「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」(ヨハネ9:39)と言われる。私たちは見えている、わかっていると言いながら、実はそうでないことが多い。主の十字架の出来事の意味がほんとうに分かるように、つまり「見える」ようにと願いつつ、「主よ、憐れんでください(キリエ、エレイソン)」という心の叫びをあげ続ける者でありたい。

説教作成のヒント

・今日の福音書の前半部分で、主の受難の予告が三度目にもかかわらず、十二人の弟子たちは「イエスの言われたことが理解できなかったのである」と記されている。この弟子たちとの対比で、目の見えない人を主が癒されたみことばを聴く必要がある。主の十字架の出来事が、まさに自分自身にかかわることとして示されていること、かつて洗礼準備の期間であった四旬節に聴くみことばとして与えられている。

豆知識

・ルカによる福音書では、上にも記したように、聞いてもわからなかった弟子たちと対照的に、目の不自由な人(マルコの並行箇所では、ティマイの子バルティマイ)を主が癒された記事を通して、信仰とは何か、見えることとは何か、を主が私たちに教えておられる。主の「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」というお言葉は、洗礼の準備を備えられている者にとって大きな慰めである。

説教

イエスさまはエルサレムに向かって上っていかれます。そこでイエスさまは「異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する」と、ご自身の身にこれから起こることを、弟子たちに予告をなさいました。

イエスさまはエリコの町に近づかれました。イエスさまが十字架にお架かりになるエルサレムは、エリコからもうすぐ近くのところです。そのとき、ある目の不自由な人が、道ばたに座って物乞いをしていました。ほかの聖書のところでは、この人の名前はバルティマイという人でした。彼が座っていると、大勢の人たちの声の騒いでいる声が聞こえます。「ナザレのイエスのお通りだ」。「イエスさまのお通りだ」。

あのイエスさまなら、きっと目を見えるようにしてくださる。そう信じたバルティマイは居ても立ってもおれずに、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と大きな声で叫ぶのです。目の不自由な彼にとって、その声がイエスさまの耳に届くようにという思いで、ただ必死に叫んだのです。「ダビデの子」とはいつの日か来られる救い主のことをあらわしています。イエスさまのもとに先に行こうとしていた人たちは、バルティマイを黙らせようとして叱りつけます。しかしそれでもなお、彼はますます大きな声で、イエスさまこそ救い主であると信じて、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けたのでした。

バルティマイの声はイエスさまに届きました。いやすでに、イエスさまは彼の心の内をすべてご存知でした。イエスさまはバルティマイを、自分のそばに連れて来るようにお命じになられました。イエスさまが彼を呼ばれたのです。一日中、道端に座って物乞いをしていたバルティマイには、イエスさまにお願いしたいことがたくさんあったことでしょう。しかし彼はただ一つのこと、「見えるようになること」を願いました。イエスさまは彼に応えて、「見えるようになれ」と宣言してくださり、「あなたの信仰があなたを救った」、とも言って下さいました。バルティマイはたちまち目が見えるようになり、イエスさまに従っていったのです。

このバルティマイの物語は、今日の福音書の前半に書かれているように、イエスさまの弟子たちの無理解と対照的に描かれています。12人の弟子たちは、イエスさまから「あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ」(ルカ10:23)と言われていましたが、イエスさまの身にこれから起ころうとすることを三度も予告されたのに、それを理解することができませんでした。しかし、イエスさまが復活をされたときに、弟子たちの心の目が開かれて、イエスさまとはどういうお方であったのか、何のために来てくださったのかを、やっと理解をすることができたのです。

イエスさまは、素直に「わたしを憐れんでください」と願う人に、救いの手をさしのべて下さいます。ですから、イエスさまのみことばを信じて、私たちも「今見なくても信じて」(Ⅰペトロ1:8)喜ぶことができるのです。

分級への展開

さんびしよう

□57番 「しゅよわたしをあわれみ」

□改訂版27番 「キリエ・エレイソン」

やってみよう

*広い場所や外でやるプログラムです*

目が見えなくても、仲間を信じて行動することを体験してみましょう。

(本来のネイチャーゲームの目的とははずれます)

☆コウモリとガ

①まず、輪を作りましょう。(10人程度)

②その中で、コウモリ1名とガ2~4名決めます。

③コウモリとガは、輪の中に入ります。この時、コウモリは目隠しをします。

④周りの輪の人は手をつないで壁を作ります。

⑤コウモリは「バット」と叫び、ガはそれにこたえて「モス」と叫びます。コウモリは「モス」の声をたよりにガを捕まえます。タッチされたガは、壁になり、何回か交替します。

☆目隠しいもむし

①5人くらいのグループを作ります

②1人以外は、目隠しをします。

③1列にならび、前の人の肩に手をあて“いもむし”になります。

④先頭に目隠しをしていない人が立ち、手をとり探検にでかけましょう。*列が乱れないように前や後ろの人とペースを合わせて歩きましょう。

はなそう

今日の説教にあるように、バルティマイさんは必死にイエス様に対して叫んでいました。

目が見えないので、どこにいるかもわからなかったことでしょう。

気付いてくれなかったら?無視されたら?とちょっと不安はあったかもしれないけれど、信じて一生懸命叫びました。