・イエスさまは人々に向かって、「あなたがたは幸いである」、「あなたがたは祝福されている」と言われている。主は、もともと“現在形”でこのみことばを語っておられ、「今、あなたがたは幸いなのです」、「今、ダイナミックな神さまのご支配のうちに入れられている」と宣言をされているのである。
・イエスさまの宣言は、いじめ問題や不登校など、子どもたちをとりまく様々な状況にあって、非常にインパクトのあるみことばである。主と共にある幸い、変わることのない恵み、主にあるまことの豊かさを子どもたちにじっくりと伝えたい。
・主と共にある幸いを、神さまの祝福をあふれるほどに与えられている私たちが、自分の中だけにとどまらないで、どのようにそれに応えようとしているかを考えさせたい。
・説教を作成するうえで、マタイによる福音書の「山上の説教」との比較はさけがたい。主はどこででも同じように教えられたに違いないが、ルカによる福音書では、イエスさまは人々の生活の場に近づいて教えられたことが強調されている。
・詩編の第1編は「いかに幸いなことか」で始まっている。「いかに幸いなことか」は、詩編全体を通してのテーマでもある。
イエスさまは、大切なことを神さまにお祈りをされるときには、よく山に登られます。モーセも山で神さまのお声を聞きましたが、山は神聖なところとされていました。イエスさまは夜どおし、神さまにお祈りをされて、とくに12人の弟子たちを選び「使徒」と名付けられました。それから、イエスさまは弟子たちと共に山を下りてこられました。イエスさまは人々の生活の場所に近づいてこられたのです。
イエスさまはたくさんの人たちの病気を癒されました。また、平らな所にお立ちになり、大勢の弟子とおびただしい群衆を前にしてお教えになります。イエスさまの教えを聞こうとして、遠くからもおびただしい人々がイエスさまのもとに押し寄せて来ていました。
イエスさまは「貧しい人々、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」と語りはじめられます。イエスさまのもとに来ていた多くの人たちは、いろんな病気に苦しんでいたり、さまざまな悩みがあったり、またとても貧しい人たちでした。イエスさまが救ってくださることを心から願っておりました。それらの人々に対して、「あなたがたは幸いなのですよ」、「今、幸いなのです」と言われたのです。実際の人々の生活は、ほんとうに苦しくて、貧しくて、辛くて、けっして満足できるものではありませんでした。しかし、イエスさまは「あなたがたは、今、神さまから祝福されているのですよ」と宣言されるのです。イエスさまは、「あなたがたは」と親しく、心をこめて、「今、あなたがたは幸いです。神さまから祝福されています」と言ってくださるのです。どうして、イエスさまはそのように言われるのでしょうか。
貧しいこと、悲しいこと、飢えていることが、よいことだと言っておられるのでは、決してありません。また、人生には悪いこともあれば、またよいこともあると言っておられるのでもありません。イエスさまは「貧しい人々幸いである。神の国はあなたがたのものである。」とおっしゃいました。神さまの国とは、ここやあそこ、といった特定の場所を指しているのではありません。神さまのご支配のあるところ、神さまがダイナミックに働いておられるところが神の国なのです。
貧しい人たちや、悲しんでいる人たちを、イエスさまは必ず慰めてくださいます。イエスさまはいつも共にいてくださり、みことばを語りかけ、励ましてくださるのです。イエスさまは貧しい人、泣いている人、つらい思いをしている人を捜し出して、「わたしがいるも一緒にいますよ」と語りかけてくださいます。まさにこれこそ、神さまのご支配のうちにおらせていただくことあり、今、まさに神さまがダイナミックにわたしたちに働いていてくださるのです。
ですからイエスさまは「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである。」とおっしゃるのです。そしてわたしたちも、今わたしたちの近くで、泣いている人たちや苦しんでいる人たちを、慰め、励ますことができる者とされますように、イエスさまに祈りつつ従ってまいりましょう。
□119番 「やさしいめが」
□改訂版53番 「ペトロは」
8枚のカードを用意します。
ルカ福音書にある4つの幸い、4つの不幸を8枚のカードに書いていきます。
幸いと不幸はそれぞれ相対するものがありますので、それを表裏に張って4枚のカードにします。
そのときに子供たちと話しながらやってみましょう。
「貧しい人々は幸いである」の対になっているものは何かをさがしていきます。
4枚のカードになったところで、それぞれ裏表を見ながら何が大切なことかを話し合いましょう。
・4つの幸いとはどんなことですか
・4つの不幸とはどんなことですか
・どの幸いと不幸が対になっていますか。