・ 聖礼典、つまり、神様の命令としての「洗礼」ということ
・ 神のものとされる、客観的な「しるし」としての洗礼。信仰の主観性ではなく、恵みの客観性としての聖礼典
・鳩のこと 『旧約聖書続編』の「エズラ記(ラテン語])の5・25以下に、「また造られたすべての鳥の中から一羽の鳩をご自分のものと呼びました。大きくなったあらゆる民の中から、一つの民を御自分のものとされ、お愛しになりました」とある。
今日は「主の洗礼日」です。先週は、生まれて12日目のイエス様のお話でしたが、今日のイエス様は、すでにおとなになっています。あれから30年あまりの歳月が経ちました。
おとなになったイエス様がまず何をしたかというと、洗礼をお受けになりました。みなさんの中にも洗礼をすでに受けている人とまだ受けていない人がいると思います。今日は、洗礼とは何かということを一緒に思い巡らしましょう。
洗礼を受けるイエス様に注目する前に、もう一人に人に目を向けましょう。それは「ヨハネ」という人です。このヨハネがイエス様に洗礼を授けたのです。このヨハネのことを人々は、「あの人がひょっとして、メシアではないだろうか」と考えていました。メシアというのは、キリスト、救い主のことです。旧約聖書には、このメシア、救い主のことが預言されていたのです。ユダヤの国の人々は、その救い主の登場を今か今かと待ち望んでいたのです。
ヨハネは自分がメシアと思い違いされていると知って、こう言いました。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる」と。ヨハネはそう言って、自分はメシアではないことを人々に明らかにしたのです。「わたしよりも優れた方」とは誰かわかりますか? そう、イエス様ですね。そのイエス様が、今、ヨハネから水で洗礼を授けられたのです。この中で洗礼を受けている人もみんな、例外なく、水による洗礼を受けたのです。水を使わない洗礼はないのです。だからと言って、水に不思議な力があるというわけではありません。水は水、普通の水です。
では、イエス様が洗礼を受けた時、何が起こったでしょうか。「天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降ってきた」のです。水だけでなく、聖霊が働いたのです。洗礼で大切なのは、そこ、聖霊の働きです。その聖霊は「鳩のよう」とありましたね。「鳩」というと、聖書に親しんでいる人は何を思い浮かべるかなぁ。やはり、「ノアの箱舟」でしょうか。いいですね。鳩は、聖書では、救いと結びつくイメージなのです。イエス様が鳩のような聖霊を受けたということは、救われるべきイスラエルの民の代表者として聖霊をいただいたということです。イエス様は民衆と一緒に、民衆の一人として洗礼を受けたのです。うれしいですね。聖霊が注がれる洗礼は神様の働きです。神様による救いの働きなのです。洗礼を受けると、天からの宣言があります。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という…。洗礼を受けることによって、私たちは、命のみなもとである神様のものになるのです。天の神様との「きずな」です。しっかり神様に結び合されて、この世を生きるのです。これほどうれしいこと、安心なことはないのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□120番 「どんなときでも」
□改訂版31番 「主よ、おいでください」
「ユールヤータ」の作り方
長方形の紙を2つに折ったものを色違いで2枚用意する。
ボール紙に貼り、マッチ棒や割り箸を中心の棒にしてこまを完成させる。
割り箸を使う時は鉛筆削りで先を少し尖らせると良い。
星に色や模様をつけてもよい。
また星を3つ重ねたこまを作ってもおもしろいでしょう。
・ 洗礼について話してみよう!
自分の洗礼、人の洗礼を見て。
・ みんなはどんな時に「きずな」を感じる?
それは誰と、どうしたとき?神さまと「きずな」を感じるときってどんな時?先生や牧師先生に聞いてみよう!