・救い主の誕生という神の計画に、マリアが母となる役割を与えられる。天使の言葉を聞いたマリアが訪問したのは、妊娠している叔母のエリサベトだった。マリアとエリサべトの出会いと喜びが示される。二人とも、神の計画を知り、仕えていく。
・エリサべトは、大祭司アロンの家の出身であり、祭司ザカリアの妻。家柄は立派だが、マリアに対しての態度は、43節の言葉のように、大変、謙遜なものである。
・胎の子が喜びに包まれるという命の歓喜が示される。「宣教」は、この新生・出会い・感動・賛美の喜びを「誰かに告げて出てゆきたい」という心から生れるであろう。
・今日の日課に続く1:46~55は、「マリアの賛歌」で、ラテン語の最初の句「あがめ」をとり「マグニフィカト」と呼ばれる。神様に対して、マリア自身が受けた恵みへの感謝と、民に約束したことを成就されたことへの感謝が、賛歌として表現されている。
ある教会の前を通った時に、その庭にみすぼらしい小屋がありました。どうしてこんな小屋をたてたのかなと、中をのぞくと、そこには、本物の飼い葉おけに眠る赤ちゃんのイエス様の人形と、マリアさん・ヨセフさんの人形。まわりには、3人の博士と羊飼い。小さなあかりが、人形を照らしていました。クリスマスのころでしたので、2000年あまり前の、本当のクリスマスを思い出させるように、そんな小屋とクリスマスの人形を置いたのですね。日本では、にぎやかにクリスマスが祝われるようになりましたが、大騒ぎするだけでは、大切なことを忘れてしまいますね。イエス様が生まれたのは、私たちひとりひとりのため。弱く、不安な人間の私たち。明日は、どうなるかわからないのが、わたしたちです。イエス様は、そんな私たちと一緒に歩んでくださる友達のような方です。天からいつも見守って、導いてくださるのです。
さて、今日はそのイエス様のお母さんになったマリアさんのお話です。神様の計画でいらっしゃるイエス様は、まず、最初に、マリアさんというお母さんのおなかから赤ちゃんとして生まれました。マリアさんは、天使にお告げでみごもる(妊娠する)ことは聞いていましたが、とてもどきどきしていたことでしょう。ちょうどそのころ、親戚のおばさんのエリサべトさんがみごもっていることを知り、会いに行きました。エリサベトさんに会って挨拶すると、エリサべトさんはおなかの赤ちゃんがおどるのを感じました。この赤ちゃんは、のちにイエス様の歩まれる道の準備をすることになるヨハネさんです。生まれる前からイエス様との出会いを喜んでいますね。
マリアさんは、十代のとても若い女の子です。神様のご計画とはいえ、これからなにが起こるか、不安もいっぱいあったでしょう。けれど不安の中でも、神様を信じて、信頼して、一日一日歩き出したでしょう。私たちも、不安な時でも、ゆっくり考えて、何かを始めましょう。歩み出しましょう。今日のマリアさんのように、思い切ってエリサべトさんを訪ねたように、分かり合える「誰か」に出会い、交わり、共感するとき、何かが始まっていくでしょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□123番 「かなしいときにも」
□改訂版65番(1-4) 「主を待ち望むアヴェント」
<用意するもの>
色画用紙、鉛筆、ハサミ
暗闇を照らすろうそくの形のカードを作ります。
色画用紙をろうそくの形に切ります。イエス様の誕生日であるクリスマスに、私たちにも出来る良い事を考えてカードに書きましょう。
□お腹の中に赤ちゃんがいるってどんな気分だろう?3キロのおもりをお腹に入れて歩いたり座ったりしてみる。
□主の言葉が実現したこと(自分の考えや希望ではなく、神様だったらこう考えるかなぁ?こうするかなぁ?ということ実際に起こったことある?)その時の話しを聞かせて。