・聖書の内容は簡潔にして簡明。当時の聖書であった旧約聖書の意味する所をイエスは簡潔に教え示した。本日の聖書が意図する所は、膨大な量の言葉の中から、人が覚えるにふさわしい聖書の言葉を提示することにある。神への愛、隣人への愛。私たちも覚えているか。
・本日の暗唱聖句は、「旧約聖書全体の要約」と言っても良い。
・新約聖書の要約は何か。ヨハネ福音書3章16節であると、ルターは言った。
・神を愛することは礼拝で、隣人を愛することは分級や遊びで具体化する。
・イエスが答えた「第一の掟」は、旧約聖書、申命記6:4からの引用。
・イエスが答えた「第二の掟」は、旧約聖書、レビ記19:18からの引用。
・イエスの律法学者への答えは、旧約聖書を下敷きにしていることが多い。
「どの掟が最も重要でしょうか?」この問いで言われている「掟」は、613個あったそうです。私たちは当時の掟を、出エジプト記などで眺めることが出来ます。大変な分量。その問いにイエスさまは「神を愛すること」「隣人を愛すること」この2つが要であることを言います。聖書の要約は「神を愛する」「隣人を愛する」その二つとイエスさまは言うのです。
さて、神さまを愛すること、隣人を愛すること。これがイエスさまの語ることです。けれどもこのイエスと律法学者の話し合いには一つの、大切な前提があります。それは「神が私たちを愛してくださっている」ということです。聖書は確かに、私たちが神さまを大切にし、隣人を大切にすることが言われています。その前提として、神さまが私たちを大切にして下さる。私たちのことを、大切に思う方がいるということを、初めに皆さんは覚えてください。
じゃあ、どうしてそんなことが言えるのか?今日、イエスさまが律法学者のおじさんたちに答えた答えは旧約聖書の、「十戒」の要約です。その序文、出エジプト20章2節には「私は主、あなたの神」という言葉があります。私たちのことを愛し、大切に思うからこそ、「あなたの神」という言葉が出てきます。私たちが神さまに結びつきたいと思ったから、神さまへと結びついているのではない。私たちの神さまへの愛が先立つのではない。神さまの私たちへの愛が先立っているのです。私たちが思う以上に、神さまは私たちを愛して下さる。
聖書の別の箇所(申命記6:1-9)では「あなたは宝の民」という言葉がありました。「宝」というのは得難いものです。そういう場所にあるのが宝。私たちはそういうものに例えられているのです。私たちを指して「あなたは宝物」と呼ぶ声があります。「神と隣人を愛する」ことは私たちにとって時に高すぎるハードル。自分自身ですら愛せないこともあります。そういうとき私たちは「あなたは宝の民」の言葉に立ち返りたいと思います。神さまから遠くにあると思われるときでも、神さまは私たちのことを近しく思っている。そのことを覚えたい。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□3番 「きよいあさあけて」
□改訂版128番 「飢えている人と」
〈準備するもの〉
・青、緑、黄、赤の色紙を人数分
・直径60~70cm程のフラフープ(なければ新聞紙で輪を作り、ビニールテープで巻く)
・透明のビニール袋(大)
・セロテープ
①フラフープに透明ビニール袋を貼りつける(セロテープを使う)
②神さま役の人がフラフープを持って立つ1m~2m位離れた所に千を引き、そこに他の人は並ぶ
③初めに1人ずつ青い色紙をもらい、「心」と言いながらその色紙を丸めてボール状にし、順番に1人ずつフラフープの中にそのボールが入るよう集中して投げる。
④全員投げ入れたら、次は緑の色紙を精神と言いながら同様に投げ入れていく。黄色は思い、赤は力と言い、同様に投げ入れる。
□自分の心、精神、思い、力を尽くして神さまに聞き、従い、いつも神さまを求めていくこと…それは、フラフープの中にボールを入れてようと集中するのに、ちょっと似ていないかな?色々な事があった時、神様に「どうじてですか?」と問いかけたり、「ありがとうございます」と感謝したり、「助けて下さい」と願ったり、いつも神様に向いて行くことが大切だね。神様の愛がたくさん感じられるようになるよ。
□自分を愛するように、隣人を愛するってどんな事?隣人って誰の事かな?