・イエス様の「救い」の中身を聖書の言葉から聞く。
・イエス様はどのような思いで弟子たちに質問をされたのだろうか?
・ペトロ(弟子たち)はどのような思いでイエス様に答えたのだろうか?
・「メシア」はもともとへブル語で「油を注がれたもの」を意味する言葉。
・油注ぎは、神さまから与えられた特別な使命を果たすために、神様が特別な力を王様や預言者に注がれることの象徴的行為。
・ギリシア語の聖書を日本語に翻訳するにあたり、新共同約聖書はヘブル語の「メシア」に相当する「クリストス」という単語を救い主の称号として使われている箇所では「メシア」、イエス様の固有名詞のように使われている箇所は「キリスト」と表記し、訳し分けている。
ユダヤの人々は「メシア=救い主」をずっと長い間待っていました。彼らが待っていたメシアとは神様から遣わされた人手、自分たちを苦しみから救い出し、ユダヤの人々のために周りの国をやっつけて、ユダヤ王国をつくってくれる王さまのことです。
イエス様が「人々は私を何者だと言っているか?」と問うたとき、ペトロは「あなたはメシアです」と答えました。ペトロはイエス様が王様となってユダヤの国を治めてくれると思っていたのです。しかしイエス様はペトロやユダヤの人々の考えていたメシアではありませんでした。イエス様はご自分が多くの苦しみを受け、殺されてしまうと弟子たちに伝えたのです。敵をやっつけるメシアではなく、敵にやっつけられて殺されてしまうメシアだったのです。みんなとてもびっくりしたと思います。特に、頑固者ですぐに頭に血が上るペトロにとって、「そんなことがあっては困ります。王となるお方が苦しまれるなんて困ります、しかも死んでしまうなんてもっと困ります。」とイエス様をわきに連れ出していさめるのです。他の弟子たちも同じように思っていたと思います。
するとイエス様は「サタンよ、引き下がれ、あなたは神のことを思わず人間のことを思っている」と弟子たちに向かって怒ります。イエス様はなぜこんなにも怒ったのでしょう?それはペトロがイエス様の救いのみ業を、神様の計画に従ってみるのではなく、自分たちの期待で見ていたからです。イエス様は自分たちの考えるメシアだから、こうなって、ああなって、最後にはこうなるんだ!そして自分たちは救われるんだ!と勝手に神様の救いを理解し、メシアを理解していたのです。
メシア、救い主とは、私たちの弱さやおろかさを、死を、受け止めてくださる方のことです。だからイエス様は苦しみを受け、十字架にかけられたのです。だからイエス様は復活なさったのです。イエス様の救いのみ業を、自分たちの勝手な考えではなく、イエス様の言葉から聞いてまいりましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□127番 「イエスさまのじゅうじかを」
□改訂版84番 「イェスさまのじゅうじかを」
小枝を拾って組み合わせボンドと麻ひもなどで、固定して十字架を作りましょう。
縦の一本は神さまと私たちをつなぎ、横の一本はわたしたち一人ひとりをお互い隣り人としてつなぎます。
どちらもその真ん中にはイエスさまがいてくださることを覚え、感謝のおいのりをしましょう。
・あなたにとって「救い」ってどんなこと?
・この世界にとっての「救い」について考えて、話してみよう。