・ギリシア人の女性が、真剣にイエスさまに向き合ったことにより、イエスさまから求めるものを与えられたことを知る。
・イエス様が決して限られた人たちのためだけのイエス様ではなく、求めるすべての人に応えてくださる方であることを知る。
・女性の願いを断るイエス様の姿に違和感を感じるかもしれないが、それこそ私たちの勝手なイメージで作り上げられたイエス様であり、そうではないイエス様と向き合う。
・イエス様の言葉を時間をかけて、じっくり眺め、受け止めるとき、そこに「私」に語りかけられている主のみ言葉との出会いがある。
・マルコによる福音書のこれまでのイエス様の歩みを振り返り、全体の中でのこの物語の位置を踏まえつつ、日課を読む。
・ティルスの地方というのは、イエスさまが活動されたガリラヤから見て北方の外国にあたる。聖書巻末の地図「6.新約時代のパレスチナ」が参考になる。
・当時、精神的な疾患は悪霊の仕業と考えられていた。
イエス様はこれまで、5千人の人々が満腹するほどの食事を提供したり、色んな人の病気を治したりしてきました。色んなところで神さまのお話もしました。けれども聖書を良く見ると、そのどれもがユダヤの人々に対する言葉やみ業であることに気づきます。そういえばイエス様はイスラエルの牧者として、ユダヤ人の王としてお生まれになった方であり、ユダヤ人を救う方としてその活動をしてこられた方であると、マタイ福音書やルカ福音書のクリスマスの物語に書いてありました。
だから、イエス様はユダヤ人のことを子どもとたとえ「まず子供たちに十分食べさせなければならない。」と言い、外国人であるこの女性のことを「小犬」と言っているのでしょう。
それにしても、このイエス様の言い方はちょっとひどいように思います。汚れた霊に取り付かれた幼い娘を持つこの外国人の女性がかわいそうに思います。もし私だったら、この言葉ですぐにあきらめて泣きながら家に帰っていたかもしれません。けれども、この女性はあきらめませんでした、いや、はじめからあきらめる必要もありませんでした。なぜなら、この女性はイエス様の言葉をしっかりと聞いていたからです。イエス様はこの女性に「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。」と言っています。そうです、「まず」という言葉からイエス様は語りはじめているのです。「まず」があるということは、その次があるということです。すなわちイエス様はここで「あなたや、あなたの娘に与えるパンはありません」と言っているのではなく、「まずは子どもたちが満腹しなければなりません」と言っているのです。そして、イエス様はお腹の減った子どもを、それがたとえ羊のように見えたとしても、そのままにしておられる方ではありません。イエス様は彼らが食べて満腹してもなお、あり余るほどのパンと魚を与える方なのです(6章30節~)。この女性はそのことをよく知っていたのかも知れません。そして何よりイエス様の言葉を一字たりとも聞き漏らさず、しっかりと聞いていたのです。だから彼女は「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」とイエス様に言い返したのです。
クリスマス、イエス様が生まれる前、天使ガブリエルは「神は我々と共におられる」という意味の「インマヌエル」という名をヨセフに伝えました。神はユダヤ人だけと共におられるのではありません。神はユダヤ人とも、この外国人の女性やその娘とも、そして私たちとも、共にいて下さるのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□5番 「かみさまは」
□改訂版49番 「神様はその一人子を」
ホットケーキミックスでパン作りざっくりとした簡単なパンを作ります。
時間が足りない場合は先に作り、準備しておいても良いでしょう。
このパンは神さまの恵みです。食べることでわたしたちの心と体を満たしてくれます。ポロポロしやすいパンですが、「神さまの恵み」をこぼさないよう大切にいただきましょう。
<材料>
ホットケーキミックス200g
バター(室温でやわらかくする)25g
プレーンヨーグルト150g
パウンドケーキの型(100円ショップで、紙のものもあります)
ホットケーキミックスとバターをよくすり混ぜる。オーブンを170度で予熱スタート。ヨーグルトを加え、粉っぽくなくなるまで、さっくりとまぜる。
油をぬった(紙の場合は必要なし)型に入れ、表面をならし、170度に予熱したオーブンで30~35分位焼く。
竹串をさして何もついて来なければ大丈夫。火の通りが足りないようであれば、アルミホイルなどをかぶせて焦げないようにして焼き時間を様子を見ながら増やします。
・家族や学校・社会の中で「順番」ってある?それっておかしいorおかしくない?どうしてその順番があるのだろう?
・聖書の中から「イエス様が誰のために来たか?」について書かれてある箇所を探してみよう。