・聖書は伝統や格式があるが、伝統や格式があるから大切にしなければならないのではなく、今を生きる私たちに必要なみ言葉を与えてくれるからこそ大切にしなければならないものであることを知る。
・正統な立場にあると自認している者たちにとって、自分たちが重んじている律法や伝統、生活様式がイエスの弟子たちによって破られてしまうことに我慢できなかった。もともと「神の掟」は、人間の生きるべき道を神が示されたものであったが、人の手によって有害なものに変えられてしまったことをイエスは厳しく批判された。
・2節、「汚れた」は、律法に照らして祭儀的に汚れていること。衛生的なことが問題とされているのではない。
・12節、「コルバン」は、「神への供え物」を意味するヘブライ語である。ある物について「これはコルバンである」と宣言すると、実際に神に供えられなくても、神への聖なる供え物とされ、本来の目的に使うことができなくなる。イエスは「父母を敬え」(出エジプト20章12節)の形骸化の例として用いられた。
ある中学校にサッカーチームがありました。このチームには伝統の練習方法がありました。この練習方法は、その昔、その学校がはじめて全国大会に出場できたときにコーチをしていた先生が考えたものでした。その練習方法は生徒一人一人の苦手や得意にあわせてコーチがつくったものでした。生徒たちはコーチのことが大好きでしたし、一生懸命練習したので、そのコーチがいる間は、全国大会でベスト8にも残りました。そのコーチが引越ししていなくなってからも、その学校は3年連続で全国大会に出場しました。けれどもコーチがいなくなってから今はもう10年以上経っています。にもかかわらず、その学校の生徒は当時と同じ練習をずっと続けていました。当時のコーチが考えた生徒の苦手や得意は今ともちろん違います、それでもその学校では、全国ベスト8になったんだから、すばらしいコーチが考え出した練習方法だからと、同じ練習をずっと続けていました。
ある年、新しいコーチがその学校にやってきました。そのコーチは新しい練習方法を取り入れました、似たような練習もありましたが、今いる生徒一人一人の苦手や得意にあわせた練習でした。生徒たちはもちろん、周りの先生が反対しました。すばらしい練習方法なのに、この練習方法で全国大会にも行くことができたのに…と。
そうですね、これは今日の聖書のお話のたとえです。最初のコーチは神さまです。新しいコーチはイエス様、神さまが作った練習方法は旧約聖書に書いてある戒めです。生徒はユダヤの人々、今の先生はファリサイ派や律法学者の人たちです。新しいコーチであるイエス様は言います「あなたたちは最初のコーチが作った練習方法のみにとらわれて、その練習を続けることだけに重きを置き、そのコーチが誰を見て、何のためにその練習を作ったのかを気にしていない」と。
私たちも形ばかりにとらわれて、その中身の大切さに気づかないことがあるのではないでしょうか。万人向けのこれさえやれば大丈夫という練習方法や、勉強方法などはありません。その時々、その人ごとに足りないところがあり、必要な練習、必要な学びがあるのです。そして、私に必要なものを、聖書の言葉を通して、イエス様はちゃんと教えてくれるのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□9番 「めぐみうけて」
□改訂版9番 「めぐみうけて」
白など薄い色のおせんべいにチョコペンまたはアイシングで聖句を書きます。「神は愛です」など短い聖句が書きやすいと思います。
低学年のこどもたちは十字架を描くのはどうでしょうか。お互いの出来上がりをみんなで見ましょう。
神さまのみ言葉が外からも中からもわたしたちを守り、生かしてくさるようにお祈りします。
アイシングの作り方
粉糖125gに卵白1個分を入れ、スプーンでよく混ぜる。5分ほど空気を含ませるようにまぜる。つやが出て、白っぽくなったら出来上がり。この白アイシングにココアを混ぜると濃い茶色でよく見える字が書けます。かたすぎるようならほんの少しだけ水を加えます。ようじを逆さにして筆の代わりとしてアイシングを付けながら書くことができます。もし食用色素を加える時はごくごく少量から様子を見ながら加えて下さい。
・みんなのまわり(学校や家庭、社会)で昔からあるルールや約束ってある?そのルールにはどんな意味がある?
・「伝統」や「格式」の意味を調べてみよう。みんなのまわりに「伝統」ってある?