・心と体の満腹について考えてみる。
・イエス様が必要な「糧」を与えてくださることを信じる。
・弟子たちが初めての宣教体験を報告した直後のことである。杖1本の他は何も持たない旅で、神の支配を身をもって知る旅であった。イエスは疲れて帰った弟子たちに休息を取らせる。
・そこへ群衆が殺到した。群衆は疲れた弟子たちに遠慮するゆとりもない、困窮状態であった。イエスは生きる糧を求める群衆に心を向けた。
・イエスの心が非情に激しく揺さぶられた。これだけ大勢の群衆をイエスが奇蹟をもって豊かに養ってくれた。残り物が溢れるほどに残った。
・1デナリオンは当時の一日分の賃金。ここでは200日分の賃金に相当する金額である。
・旧約聖書ではエリシャがわずかなパンと穀物で百人を満腹させた(列王記下4章42節以下)。しかしイエスの奇蹟はけたはずれに大きい。
・「十二の籠いっぱいになった」の十二は「完全数」を表す象徴的な数字である。あふれるほどに残ったことを示す。
・「男が5千人であった」は、女性や子どもを無視したのではなく群衆の数の大きさを強調している。
どうしておなかがへるのかな けんかをするとへるのかな なかよししててもへるもんな かあちゃん かあちゃん おなかとせなかがくっつくぞ
どうしておなかがへるのかな おやつをたべないとへるのかな いくらたべてもへるもんな かあちゃん かあちゃん おなかとせなかがくっつくぞ
みなさんはこの歌を知っていますか?そうですね、どこかで聴いたことがありますね。
では、みなさんはどう思いますか?どうしてお腹はへるんですか?(みんなの声をきく)そうですね、色々な理由があると思います。ではみなさん、こんどは逆の質問です。どうすればお腹は満腹しますか?(みんなの声をきく)そうですね、これもまた色々な理由がありますね。
でもみなさん、お腹いっぱい食べたら必ず満腹しますか?たった一人でご飯をお腹いっぱい食べるのと、みんなでわいわい楽しくご飯をお腹いっぱい食べるのと、どちらがたくさん食べられますか?嫌いなものでもたくさん食べたら満腹しますか?同じものばかりでも?もしかすると、お腹いっぱいになると、満腹するのは同じところもたくさんあるけど、違うところも少しあるのかもしれませんね。
今日読んだ聖書に登場した5千人の人たちは、お腹いっぱいになったでしょうか?満腹したでしょうか?きっとお腹もいっぱいになって、満腹もしたんだと思います。
それはイエス様が5千人の人たちに必要なものをよくわかっていたからです。確かに時間もだいぶたってお腹が減っている人もいたでしょう、そしてその人たちがたくさん食べて、パンくずと魚の残りが12のかごにいっぱいになったとあるので、彼らのお腹はいっぱいになりました。そして彼らはお腹がいっぱいになるだけではなく、彼らの心もいっぱいになったと思います。何故なら、彼らははじめ、イエス様の目から見て、飼い主のいない羊のような有様だったのです。そして、イエス様がそんな彼らを深く憐れみ、5つのパンと二匹の魚を、天を仰いで賛美の祈りを唱え、イエス様の手でそれを裂き、弟子たちを通して人々に分け与えたのです。一人ひとりに必要なお腹を満腹させるパンや魚を、その心に必要な祈りを、イエス様は与えてくださったのです。
イエス様は私たちに必要なものも良くご存知です。私たちは自分自身に必要なものをわかっているでしょうか?自分のまわりにお友達や、世界の人々に必要なものをわかっているでしょうか?一緒に考え、そして必ずそれが与えられることを信じ、またそれらが人々に与えられるとき、イエス様のお弟子さんたちのように、そのお手伝いが出来るような人になりたいものです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□104番 「にひきのさかなと」
□改訂版21番 「2匹の魚と」
<用意するもの>
・画用紙・ハサミ・クレヨン
①画用紙を2つ折りにして下図のような線を描き、折ったまま、線のとおりに切る。開くとパン、魚の形になる
②時間があれば、魚に模様を描いたり、パンに色をつける。
<用意するもの>
・入れ物(カゴ、箱など)人数分
・ビニール袋12枚×グループ分
①5・6人ずつグループになる。
②それぞれ各自入れ物を持つ。
③グループで1人ずつ自分の作った魚とパンを切り分け、グループ内の人の入れ物に配っていく。
④全員が分けて配ったら、それを一ヶ所に集めて山にする。
⑤集まった魚とパンのかけらを12枚のビニール袋に分けて入れる。
□「パンは幾つあるか見てきなさい」と弟子達に確かめに行かせたのはなぜだろう。
□自分の持ち物をさし出すという事、分けてあげるという事を体験して、どんなことを思ったかな?話してみよう。