・イエス様が弱くされた人、弱い人のために来られた=すべての人のために来られたことを知る。
・世の中で弱くされた人とはどんな人か?自分の中の弱いところはどこか?そもそも弱くない人はいるか?イエス様を必要としない人はいるか?考える。
・「徴税人」…イエス様の時代のイスラエルはローマ帝国の支配下にあり、ローマに税金を支払わなければならなかった。徴税人は一般の人から軽蔑され、ファリサイ派や律法学者たちからは「罪人」と同じような扱いを受けていた。
・食事を共にすることは「心」を同じくする者たちの深い交わりのしるしでもあった。
みなさんの中で病院に行ったことがある人?手をあげて。ではその人たちは何で病院に行ったのか教えてください(一人ひとり順番に聞いていく)。なるほど、みんな色んな怪我をしたり、病気にかかったことがあるんですね。では○○さん、なぜ風邪をひいたときに靴屋さんに行かずに内科の病院に行ったんですか?●●さん、なぜ足の骨を折ったときに耳鼻科ではなく外科の病院に行ったんですか?なるほど、そうですね。みなさんは「この病気にはこの病院」「この怪我にはこの病院」ということを知っているから、病気や怪我のときは帽子屋さんではなく病院に行くんですね。さて、今日読んだ聖書にはイエス様が徴税人や罪人と一緒に食事をしたお話が書いてありました。そしてファリサイ派の律法学者が「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言ったとありましたが、律法学者はなぜこんなことをイエス様のお弟子さんに聞いたのでしょうか?それはイエス様の時代、徴税人や罪人は神さまの目から見て「汚い」人たちとされ、もしその人たちと関わると自分たちが汚れてしまうと考えるそうでない人たちから仲間はずれにされていたからです。誰も神さまが本当はどう思っているのか何かわからないのに、自分たちで勝手に「汚い」のがうつると決めてしまったのです。みなさんも「バイキンがうつる~」と言ってお友達を仲間はずれにしたり、またされたりしたことがありませんか?それと同じです。
イエス様はそんな人たちをみてとても悲しまれたんだと思います。「神さまの思いは本当は違うのになぁ」と思ったんだと思います。だからイエス様は徴税人や罪人と言われる人たちと一緒に食事をしたんだと思います、きっと楽しい食事になったと思います。はじめに病院の話をしましたね。わたしたちが病気になったとき、わたしたちは自分で行く病院を決めて、自分でそこまで行きますね。でもイエス様は違います。イエス様は私たちがどんな病気か、どんなお薬が必要か、私たちが自分で気がつく前にお気づきになり、そして私たちが行く前に、イエス様の方から来てくれます。イエス様は私たちのどんな所が弱っていて、何が必要かをご存知でいてくださるのです。そしてそこで食卓を囲むとき、聖餐式を守るとき、礼拝を共にするとき、祈るときに、私たちに弱っているところ、必要なものを教えてくださるのです。
完璧な人なんてどこにもいません。正しくないところが一つもない人もいません。お祈りの中で、自分たちの弱いところ、間違っているところイエス様にたずねましょう。そして必要なものを備えてくださるようにイエス様に願いましょう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□53番 「しゅにしたがいゆくは」
□改訂版119番 「主に従うことは」
・お友達から仲間はずれにされたことありますか?また仲間はずれにしたことは?その時どんな気持ちがした?
・みんながイエス様を必要としているところ(弱いところ、問題があると思っているところ)って何?