①ガリラヤはイエスと弟子たちにとって、故郷であり、生活の場でした。わたしたちにとっても、復活したイエスとの出会いの場は、自分たちの生活の場の中でのことを覚えたい。
②福音書は昔イエスという方がいたというだけでなく、今もわたしたちの現実の中でともにいてくださる、ということを伝えている。
・当時の墓は洞穴のようになっていて、入口が円盤型の大きな転がる石でふさいでありました。「白い長い衣を着た若者」(5節)はもちろん天使です。
・イエスが十字架で死んだのは今で言えば、金曜日の午後3時ごろでした。古代ユダヤでは日没から新しい一日が始まったので、この日を1日目とすると、金曜日の日没から土曜日の日没までの「安息日」が2日目、土曜日の日没から日曜日の日没までの「週の初めの日」が3日目ということになります。
・イエスは土曜日の日没に始まる3日目の夜のうちに復活したと考えられてきました。
たんぽぽは強い生命力を持った不思議な花です。たんぽぽの種は綿毛を作って飛んでいきます。そうするとそこにあった茎は一旦枯れてなくなってしまいます。冬の間、たんぽぽは地面にその葉をくっつけて、雪の下、また寒さの中、命を育んでいきます。私たちの目からはそこには何もないように見えて、実は新しい命への希望が、続きがそこにはあるのです。そして、春が来ると一斉に新しい命、蓄えてきた命を咲かせるのです。地面の上には何もないように見えて実はそこに命の希望がある。なんともすばらしいことだと思います。そして、たんぽぽの種は綿毛として飛んでいきます。どこに落ちるか分からない。風に身を任せる旅です。風に運ばれていくということは命から切り離されて、死んでしまうということですが、一度死んで旅をすることでたんぽぽは新しい命、大きな命を生み出していくのです。すべての命、私たちの命を含め、何もなくなった、全てが終わったと思うようなところから希望が生まれていく、喜びが始まっていることを教えられます。人の思いや想像を越えたところに新しい命と希望は生まれてくるのです。
イースターは春のお祭りです。長い冬を生き延び、堪え忍び、新しい命がめばえ、喜びの花を咲かせます。その喜びを私たちも受け取るのがイースターです。イエス様は十字架にかかられて死なれました。けれども、三日目の朝、その墓は空っぽでした。そこにあるはずのイエス様のご遺体はなかったのです。そこに来た女性達はみんな悲しみました。誰かが盗んだと思ったのです。でも、それは違いました。生きている人がお墓の中にいる必要はないのです。イエス様はもうすでに死んではおられない、生きて歩まれているのです。
わたしたちの生活の中でも悲しいことや困難なことは何度もあります。しかし、それは永遠に続くことはありません。主イエスがその苦しみを打ち砕いて、ご自分の死と悲しみを打ち砕かれたように私たちに希望と喜び、新しい命へと導いてくださいます。空っぽの墓は悲しみのしるしではなく、希望のしるしなのです。イエス様はもうお墓にはおられません。約束されたように復活され、そして私たちと共に生きておられるのです。墓におられず、すべての人に希望を伝える歩みが始まっているのです。私たちも最も大きな喜びに満たされて歩みだしましょう。イースター、おめでとう。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□41番 「すくいのぬしはハレルヤ」
□改訂版89番 「キリスト・イェスは」
1)たまごさがしをする。
2)キャンディ探しをする。→卵の代わりにイースターカードとキャンディなど小さなお菓子をいれた袋を探す。
3)イースターカードを自分で描き、好きな人にあげる。
・お墓の中ってどうなっているのかな?日本のお墓、外国のお墓、イエス様の時代のお墓、色んなお墓のお墓の中を調べてみよう。
・花が咲いたり、赤ちゃんが生まれたり、どうして嬉しいんだろう?
・クリスマスとイースターの違いって何だろう?