2010年12月26日 降誕後主日
マタイ2:13-23 イザヤ63:7-9 ガラ4:4-7

今週の聖句

ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。
マタイによる福音書2章18節

ねらい

・教会の暦では「降誕後主日」だが、日本の慣わしではクリスマスが終わり、一年の最後の日曜日を迎える。今年を振り返り、私たちが経験した不条理の中にこそ、主が共におられることを想いたい。

説教作成のヒント

・聖句の恐ろしい描写を強調しすぎることのないようにしたい。

・とってもかなしいときに一緒にいてくださるイエス様。それを思わされた出来事を、説教者の経験などを通し、子どもたちと共に考える姿勢が大切だろう。

豆知識

・『苦しみ』(ドロテー・ゼレ著/新教出版社)において、第二次世界大戦中のユダヤ人強制収容所の話が描かれている。収容所生活に耐え切れず脱走を図る子どもたちが捕まり、見せしめのため全員一列に並ばされ、列の端から番号を言うように命じられて5番目ごとに銃殺される。ゼレはこのような状況で「神は全能」、「神は愛」ということは通用しないと述べる。もし神がいるとすれば、その神は5番目ごとに銃殺される子どもと共に銃殺される神だ、という。「共に苦しむ神」という聖書の神概念の一つである。

説教

先日、私たちはクリスマスを共に過ごし、そして今年最後の礼拝を迎えました。みんなはこの冬休み、どのように一年をふりかえっていますか?うれしいこと、悲しいこと、いろいろあったと思います。うれしいことは、もっとたくさんあれば良いですね。でも、私たちの周りにかなしんでいる人はいませんか。「なんで、こんなイヤなことがおこるのだろう。」「神さまはいったい何をしているのだろう。」などと、神さまに尋ねたくなることがありませんか。

今日読んだ聖書にも悲しい出来事が起こりました。クリスマスのうれしい出来事の裏で、ヘロデがベツレヘムの子どもたちを殺してしまった、という事件です。恐ろしいことです。「なぜ、どうして?」と思わずアタマを抱えて込んでしまいます。

でも、わたしたちが「なぜ、どうして?」と悩む時に一緒にいてくださるのがイエス様です。クリスマスにお生まれになったイエス様は、インマヌエル=神は我々と共におられる、というお名前を持っていました。その名のとおり、私たちといつも一緒。それはちょうどコインの表裏のようです。かなしいことが起こった時に、その反対側でイエス様は必ずくっついていて、その痛みを感じてくださるのです。イエス様と私は切り離れてはいません。

イエス様がお生まれになった時、その難を逃れましたが、イエス様が大人になった時、何一つ悪いことをしていないのに、十字架という恐ろしい死刑の道具ではりつけにさせられます。その時イエス様は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27:46)と神さまに向い叫ばれました。それは呪いのような言葉です。イエス様にとって神さまに捨てられる覚えは何ひとつありません。なぜなら裁かれた罪はご自身の罪でなく、人の罪(私たちの罪)です。私たちの罪の身代わりに神の子が死なれたのです。こんなに悲しいことはありません。じつはイエス様が、人間の中で他の誰よりも一番かなしい思いをした、と聖書はいっているのではないでしょうか。

そうです。このイエス様が私たちと共にいてくださり、私たちの気持ちを誰よりも良く知っていてくださるのです。ですから、私たちが苦しく、かなしい時に、実は私たちよりももっと大きな声で代わりに神さまに叫びつつ、痛んでくださるのです。

今日私たちはクリスマスを終えてしみじみこの一年を思い返しますが、あの時もこの時もイエス様が一緒だったと思えることはありませんか。私たちがとってもかなしい時にこそ、決してひとりぼっちにしないイエス様。そしていつの日か必ず「なぜ、どうして?」という私たちの疑問に答えてくださいます。ですから今年一年に感謝をし、安心して新しい年を迎えましょう。主が共に。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□97番 「こころをあわせ」

□改訂18番 「こころをあわせ」

話してみよう

・ヘロデ王はどんな人

・幼児イエスさまとマリヤとヨセフは

・エジプトへ逃れたこと

・エジプトからナザレに帰ったこと

やってみよう

画用紙に、砂漠の景色をかき、3つのピラミッドをかきいれてみよう。

エジプトについて知っていることを話し合いながら…