2010年12月19日 待降節第4主日
ヨハネ1:1-14 イザヤ52:7-10 ヘブ1:1-9

今週の聖句

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
ヨハネによる福音書1章14節

ねらい

・教会のクリスマスは、本当のクリスマス(「キリストの礼拝」の意)。イエス様、つまり「言」(ことば)が私たちの間にやって来られたことを共に喜び、祝おう。

説教作成のヒント

ことば

①初めに言(ことば)があった。⇒時間や世界のできる前、すでに初めから、神はつねにイエス・キリストのような神だった。旧約の神は怒りの神で、新約の神は愛の神という、区別はできない。

②言(ことば)は神と共にあった。⇒イエス・キリストおひとりが神をあらわすことが出来る(1:18参照)。

③言(ことば)は神であった。⇒この「神」は定冠詞がついていないので、それは性質をあらわす意味になる。イエスのみ心はすなわち神のみ心、イエスを見た者は神を見たということ(14:9-10参照)。『光は闇の中に-ヨハネ福音書講解説教-』(大串元亮著/教文館より)

・「★説教」のまとめである下から4行目前に、神さまに希望や力をいただいた人の例話を入れてもよいだろう。

豆知識

・「言」(ことば)という字は常用漢字にない。日本語の聖書独特の読ませ方。元来「ロゴス」というギリシャ語で、理性、原理という意味がある。

・今日のトルコからヨーロッパにキリスト教が進出した頃、ヨハネ福音書が出来たが(紀元90~100年頃)、1人のユダヤ人に対して1万人のギリシャ人が教会にいたとされる。ヨハネ福音書の記者は、ギリシャ哲学の文化を持つ彼らに向け「原理・理性=ロゴス」という言葉を使用した。

・日本のプロテスタントの教会においても、1837年に刊行されたギュツラフの「ヨハネ福音書」の「ハジマリニカシコイモノゴザル」はよく知られている(『新共同訳聖書』の序文より)。

説教

今日の聖書の箇所は「初めに言(ことば)があった。」(1:1)と、始まります。ヨハネによる福音書の一番初めの部分です。漢字を習ったことのある子はすぐに気がつくと思いますが、「言」(ことば)とふりがながふってあるのはおかしいですね。学校で習う「言」の一字は「こと」とか「げん」と読み、「ことば」と読むことはありません。「ことば」は漢字で「言葉」と書きます。けれども聖書が間違って印刷されたのではありません。これは、聖書の特別な表現で、あえて「言」(ことば)と記してあるのです。いったいどんな意味があるのでしょう?じつは、イエス様のことを指しているといわれます。

ですから、「言」(ことば)の箇所に、「イエス様」と入れてみるとよく分かるのです。それから2週間前、生涯イエス様を指し示して生きた洗礼者ヨハネのお話も聞きましたね。私たちも洗礼者ヨハネのようにイエス様のことを伝えていきたい、そう思ったことでしょう。それではもう一つ、「ヨハネ」や「彼」のところにも、自分の名前(「わたし・ぼく」)を入れてみましょう。この2つのことを読み替えて、じっさいに読んでみましょう。さらに、「光」は神さま(イエス様)のこと、「暗闇」は人間や人間の世界を現していますから、そのことも意識してみるとよいでしょう(・・・具体的にみんなで読んでみる)。

「言」(ことば)であるイエス様は、私たちの心や生活が暗くなればなるほど、私たちの間で明るく輝き、希望や力を与えてくださるのです。このメッセージは、誰にも、何にも、決して奪い取ることの出来ないものです。うれしいですね。今日私たちは、本物のクリスマス(「キリストの礼拝」の意)を共に迎え、祝うのですから。

分級への展開

さんびしよう

*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より

□26番 「いざうたえ」

□改訂70番 「いざ歌え、いざ祝え」

話してみよう

・神の子イエスさま

・人の子イエスさま

・貧しい大工のヨセフさんとマリアさん

やってみよう

先週に続いて、マリアとヨセフをつくってみよう。(オリガミクリッペ2)