・主の天使が夢でヨセフに語った「恐れるな」(1:20)、「神は我々と共におられる」(1:23)というみ言葉は、このクリスマス、私たちにも語られている。
・『サンタクロースの謎』(講談社α新書)、『クリスマスの風景-現代人のためのメッセージ-』(キリスト新聞社/いずれも賀来周一著)を参照し、小学生高学年を対象にした。
・ルカはマリアに焦点をあてて描くが、マタイのクリスマスはヨセフに的がしぼられている。
・このアドヴェントから1年間マタイによる福音書(A年)を読む。「神は我々と共におられる」とは28章からなるマタイを最初から最後まで一貫して貫いているテーマ。「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)。
・当時の婚約は今の結婚にあたるものだったと考えてよい。
・「神は、イエス・キリストによって、永遠に罪人と共にあることを決意された」(K・バルト)。
ヨセフはマリアと婚約をして幸せでした。けれども、彼はとんでもない出来事にまきこまれてしまいます。マリアが訳のはっきりしない不明の理由で身ごもったというのです。ヨセフとしては、思いたくもないマリアの「姦淫の罪」が頭をよぎります。彼女に裏切られた!その思いはどんなにヨセフを苦しめたことでしょう。姦淫の罪は法廷に問われれば石打ちの極刑になります。でも、愛を誓い合ったマリアを死に追いやることがどうしてできるでしょう。ヨセフは彼の「正しさ」から一つの道を選ぼうとしました。それはマリアを去らせ、離縁することです。彼女をさらし者にしたくない。離縁の道は法廷を避けて「ひそかに」ふたりの証人の前で離縁状と手切れ金を与えれば済む。それはマリアを愛したヨセフの「正しさ」からくる最大の思いやりでした。
けれども、ヨセフが決して偉大なのではありません。彼の葛藤の中では、迷わざるを得なかったのです。愛するマリアにもそのことは痛いほど分ったでしょう。相手を必死に思いやるやさしさ。「正しい」とは何か?律法を守ろうとする人間の「正しさ」の限界です。
しかし、そこに、「恐れるな。」という天使の声が響きます。これが人間の限界を超えたところに与えられる神さまの言葉、福音です。この神さまからの働きかけによって事態は動いていきます。ヨセフの人間的「正しさ」を打ち破り、神さまのみ言葉への信頼によって与えられる「新しい義しさ」に彼らは生き始めることになるのです――。
手におえない出来事、マリアへの疑い、「正しい自分」が崩れる、そうしたものを超えて、彼はマリアの特別な選び、彼女に対する神さまの恵みの計画、そして「ダビデの子ヨセフよ」との呼びかけによる神さまの約束、これらの重さに打ちのめされながら、今日の箇所の後すぐ夢から目覚めます。そして彼は「恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」(1:20)のみ言葉どおり彼女を受け入れました。
私たちは今日のヨセフとマリアの出来事を見過ごしてはならないと思います。彼は人間的な判断「正しさ」の中で一生懸命生きました。しかし行き詰まりがありました。その時、神さまの声を聞くのです。世界で最初のクリスマスから、その後にクリスマスを体験する私たちに向けられたメッセージ。「恐れるな」(1:20)、「神は我々と共におられる」(1:23)とは、今日の私たちにも語られている神さまのみ言葉なのです。
*讃美歌は”こどもさんびか”(日キ版)より
□18番 「そらにはてんしの」
□改訂65番 「主を待ち望むアヴェント」
イエスさまは、お生まれになったとき、産院やお家の中の暖かいお部屋ではなく、家畜小屋の中でした。そして、ベビーベッドになったのは飼葉桶(馬槽)のまぐさの中でした。いちばん貧しいお姿でのお誕生ですね。
おり紙を用意して「飼葉桶」のベビーベッドを作ってみよう。(オリガミクリッペ1)