・イエスによって示された神の愛に生かされていることを知り、信頼する。
・サドカイ派の人々が、イエスに対して質問を持ちかけている。「いま」を生きることをせず、ただ頭の中だけでの思考に捕われた彼らの論争は本質的ではなく、「死んでいる」。作り話とは言え、次々と夫を亡くした女性のことが、彼らにとっては「題材」でしかない。
・「生きているものの神」・・・・・・復活のいのちは単なるこの世の生活の継続ではなく、神さまとの新しい関係のもとに生きるいのちである。どんなにイエスさまが言葉を尽くして説明してくださっても、わたしたちはその姿を完全には理解できない。ただイエスがそのいのちによって示してくださった神の愛から、わたしたちはその性質を知ることができる。
・ある人が世継ぎを残さないまま死んだ場合、その人に一番近い血縁の人がその妻をめとる義務があった(レビラート婚、申命記25:5-10)。第一には家名存続のための制度であったが、同時に、生活の手立てを得にくい寡婦を保護するための制度でもあった。・サドカイ派は当時のユダヤ教の中の一派。祭司
・裕福な層を中心としていて、モーセ五書だけを聖書と認め、その後の伝統を認めず、復活も天使もないとした。聖書以外の伝承や復活信仰などを認めるファリサイ派とはしばしば対立していた。
・「柴の箇所」(37節):出エジプト記3:6、もとの箇所ではモーセの言葉ではなく守護自身の言葉。「モーセ五書」はモーセ自身が書いたと信じられていたためこのような書き方をされている。この箇所で主はモーセに、自分はアブラハム・イサク・ヤコブという先祖たちと契約を結び、生きて働いてきた神だということを示された。